日常時と非常時の壁をなくし、普段の生活を豊かにするモノやサービスを、災害時にも役立つようデザインし直そうという概念「フェーズフリー」が注目を集めている。この思想をさらに社会へ実装すべく、2026年3月にフェーズフリー協会とデロイト トーマツ グループの有限責任監査法人トーマツは連携協定を締結した。フェーズフリーが社会にもたらす価値とは。協会代表理事の佐藤唯行氏と有限責任監査法人トーマツ 地域未来創造室の山本啓一朗氏に話を聞いた。

フェーズフリーは誰もが参加可能な社会変革

――現在、都市計画や企業活動など、さまざまな場面で注目を集めているフェーズフリー。まずはどのような概念なのか教えてください。

【佐藤】フェーズフリーとは、日常時と非常時という社会状況の「フェーズ」の制約から自由になり、「いつも」を豊かにするモノや仕組みが「もしも」の時にも暮らしと命を支えてくれる社会を目指す考え方です。

私はこれまで防災工学の研究や復旧・復興事業を通じて、多くの災害現場と向き合ってきましたが、その中で「備える」ことの限界を感じてきました。組織や個人のリソースが限られている一方で、災害のシナリオは無限に存在します。そのすべてを想定し、コストをかけて備え続けることには、構造上の無理があるからです。

繰り返される災害という課題を、どうすれば根本から解決できるのか。この問いを突き詰めた末に辿り着いたのが、フェーズフリーという概念でした。

佐藤唯行(さとう・ただゆき)
佐藤唯行(さとう・ただゆき)
一般社団法人フェーズフリー協会 代表理事

――その発想の転換には、何かきっかけがあったのでしょうか。

【佐藤】社会課題は、政府や一企業の努力だけでは解決できません。だからこそ「誰もが課題解決に参加できる仕組み」が必要だと考えていた時、バーチャルシンガーの『初音ミク』を知り、非常に感銘を受けました。

専門家でなくても使える音声合成ソフトウェアというイノベーションによって、それまでアーティストの領域だった創作活動が一般の人々に開放され、誰もが作曲し、歌い、その歌に触発されてイラストや動画を発表するなど、創作の連鎖反応が起きるようになった。防災もこの初音ミクのような発想で、誰もが参加でき、草の根的に広がっていく活動に変えていけないだろうかと。

例えば、日常的に地域の食材を楽しむ「マルシェ」は、非常時にはそのまま「炊き出し」の機能を担えます。「普段の活動が、そのまま非常時の支えになる」という発想こそが、防災を誰もが参加可能なものへと変える鍵になるのではないかと考えました。

――お話を伺っていると、自分が普段行っている活動も、見る角度を変えるだけで実はフェーズフリーを実践できている、といったケースもありそうですね。山本さんは災害に関してどのような課題を感じてきたのでしょうか。

【山本】私は以前、復興庁で東日本大震災の被災地の経済復興に関わっていました。2011年にあれほどの災害を経験した場所で、翌年に大きな余震が起きた時のことです。沿岸地域で働いている方々や住民の方々が避難しようとしても大渋滞が発生し、逃げるに逃げられない光景を目の当たりにしました。震災の教訓があってもなお、同じ混乱が繰り返されてしまう姿に、「備える」ことの難しさを痛感したんです。

山本啓一朗(やまもと・けいいちろう)
山本啓一朗(やまもと・けいいちろう)
有限責任監査法人トーマツ 地域未来創造室

【佐藤】おっしゃる通り。そもそも「災害」とは、地震や豪雨、津波といった自然現象という「ハザード」に「社会の脆弱性」が重なり合うことで起こります。例えば東京で震度7の地震が起きれば、建物が大きく揺れて、ビルからはガラスが落ちてきたり、電話がつながらなくなったり、電車が止まったり、いろいろなことが起きて大きな災害が引き起こされてしまいますよね。

一方で、サハラ砂漠で起きたらどうでしょう? 震度7という事態は同じなのに、その場所に人々の暮らしがないなら、地面が大きく揺れ、地割れが起き、たとえ地形が変わってしまったとしても、「大きな地殻変動が起きた」というだけなのではないでしょうか。

つまり、自然現象は避けられなくとも、社会の脆弱性を小さくすれば被害も小さくしていける。そのための具体的な手法としてこれまでは「防災」が中心でしたが、人は「備え続ける」ことが困難である以上、その考え方自体を変えなければなりません。

【山本】佐藤さんからフェーズフリーの考えを伺い、まさに私が直面していた「防災の限界」を打破する発想だと感じました。同じ被害を繰り返さないために、フェーズフリーをいち早く社会に実装することが重要です。

「日常のクオリティ」が「非常時の価値」に直結する

――フェーズフリーがなぜ、従来の防災の限界を突破できるのでしょうか。

【佐藤】一言で言えば、防災を「コスト」から「バリュー」へと転換できるからです。本来防災にはコストがかかります。例えば、東日本大震災で多くの帰宅困難者が発生した際、「非常時のためにオフィスに運動靴を備えよう」という動きがありました。しかし、今もそれを継続している人はどれくらいいるでしょうか。おそらくほとんどいないはずです。

「非常時にしか使わないもの」を備えるのはコスパも悪ければ、時間が経てば意識も薄れます。防災がコストである限り、持続可能な仕組みにはなり得ないんです。

一方、フェーズフリーは防災のコストを価値(バリュー)へと変えます。その好例の一つがアシックスの「ランウォーク」です。見た目はビジネスシューズですが、スポーツ工学に基づいた「歩きやすく疲れにくい革靴」という日常の価値を磨き上げた結果、それがそのまま帰宅困難時などの非常時にも機能する。

企業にとっては商品価値を高めることにつながり、消費者にとっては意識せずとも「常に備わっている」状態になることで、持続可能なものになるんです。

フェーズフリーの認証マーク
フェーズフリーの認証マーク

【山本】実際、この商品は「フェーズフリー認証」を取得後、売上が二桁成長を続けています。市場で正当に評価され、利益を生むことは、ビジネスとして継続する上で不可欠な要素です。

また、フェーズフリーは既存の商品でも売り出す市場や使い方を変えることで、価値を拡張できる考え方でもあります。つまり、イノベーションの手法といえるものです。企業活動においても非常に取り入れやすい発想なのではないでしょうか。

――防災をコストを伴う「義務」からバリューを高める「イノベーション」に変える発想がフェーズフリーなのですね。他にはどのような事例がありますか?

【佐藤】明治の液体ミルク「明治ほほえみ らくらくミルク」は、専用の吸い口を取り付ければすぐに授乳でき、外出先でも気軽に使えるという日常の価値があります。誰でも授乳できるので男性の育児参加を後押しする他、粉ミルクに必要なお湯や清潔な水がなくても使える点は災害時にも力を発揮するはずです。

また、連結やパーティション設置が容易で多様なワークスタイルに応えるコクヨのコンパクトテーブル「MULTIS」は、感染症流行時における飛沫対策やパーソナルスペースの確保にも有効。

さらに、フリーアドレスのオフィスなどで重宝されているオカムラのポータブルバッテリー「OC」は、停電時にはそのまま非常用電源としての役割を担います。

――なるほど。いずれの商品も日常時でも非常時でもシームレスに使えるのですね。

【佐藤】それだけではありません。フェーズフリーの画期的なところは「防災のために作られたものではない」という点にあります。あくまで日常の価値や利便性を追求した結果だからこそ、多くの消費者に受け入れられるのです。

こうした商品開発への実装はあくまで一例に過ぎず、フェーズフリーは観光や福祉、教育など、あらゆる領域に垣根なく応用することができます。

【山本】おっしゃる通りで、近年はモノだけでなく「まちづくり」の現場でも実装が着実に進んでいます。

例えば北海道・小清水町の認定こども園「にじいろ」は、日常の保育環境を生かしながら、吹雪などの際には子どものいる家庭の避難所として機能する設計を取り入れています。また、徳島県・鳴門市の道の駅「くるくる なると」も好例です。普段は“体験型食のテーマパーク”として賑わいを生みつつ、もしものときには高所避難や流通備蓄を生かした食料供給拠点として機能します。

さらに、神奈川県は地域防災計画の指針としてフェーズフリーの視点を導入しました。川崎市役所本庁舎のように、平常時のにぎわい創出と発災時の即時転用を両立する「都市型防災庁舎」が登場しており、フェーズフリーは今や“防災のコスト”ではなく、地域そのものの“バリュー”として根付き始めているんです。

川崎市役所本庁舎
フェーズフリーの視点を取り入れて造られた川崎市役所本庁舎。フェーズフリーアワード2025にて、オーディエンス賞も受賞しました。
川崎市役所本庁舎|フェーズフリーアワード2025

フェーズフリーは日本の成長戦略に

――フェーズフリーの社会実装を加速させるべく、2026年3月にフェーズフリー協会とトーマツによる連携がスタートしました。その背景を教えてください。

【山本】理由は二つあります。一つは「スピード」です。協会へ全国各地からフェーズフリーに関するご相談が増える状況を受け、私たちトーマツもその理念に共感し、協会と共に現場で求められるスピードとスケールに応えるために、それぞれの強みを持ち寄る支援体制を整えることが有効だと考えました。毎年のように甚大な災害に見舞われる日本において、同じ被害を繰り返さないためには、一刻も早くこの概念を社会に浸透させる必要があります。

そのため私たちトーマツは、フェーズフリー導入に向けた調査・分析から、フェーズフリーを織り込んだ計画策定、さらには施策の具体化・実装まで一気通貫で支援します。

もう一つの理由が「クオリティコントロール」。草の根で広がること自体は良いことですが、一方で単なる防災グッズが「フェーズフリー」と称されるなど、正しい理解が伴っていないケースが増えています。今後フェーズフリー認証制度をどう位置づけていくか、さらなる議論の必要性を感じています。

【佐藤】そこは非常に重要なポイントです。もし単なる防災商品がフェーズフリーとされてしまうと、本質が失われ、結局また「備える」だけの世界に戻ってしまいます。フェーズフリーはカルチャーなので、本来は時間をかけて正しく浸透させていきたいところですが、山本さんがおっしゃる通り災害は待ってくれるものではありません。

正確性を担保しながら、いかにスピード感を持って実装するか。この難しい局面に立ち向かうための信頼できるパートナーとして、トーマツとの連携を決めました。

――フェーズフリーは防災という枠を超え、社会そのものをより便利に、より安全にしていく取り組みであることがよくわかりました。フェーズフリーの今後のさらなる可能性について教えてください。

【山本】フェーズフリーの発想は、街づくりや教育、地域コミュニティなど、さまざまな分野に応用でき、日本の成長戦略にもなり得ると考えています。災害大国である日本で生まれたこの考え方のコンセプトと仕組みをセットにすれば、海外にも展開できる可能性が大いにある。なぜなら海外は災害への対策が日本よりも遅れているからです。私たちとしても、その実現に貢献していきたいと思っています。

【佐藤】フェーズフリーは、防災のためのものではなく、社会をより良くするためのもの。誰もが参加でき、あらゆる分野で新しい価値を生み出すことができる。無限の可能性があるからこそ、結果として強い社会を構築する要になると思っています。