※河野ゆかり『東大医学部卒河野ゆかりの 「仕組み化」勉強法 意志力に頼らない学習自走化メソッド』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
まさかの「偏差値マイナス」の小学校時代
おでこにドデカばんそうこうを貼って
ここからは、私のこれまで歩んできた道のりを振り返ってみたいと思います。東大理科三類、そしてスイスのジュネーブ大学大学院というと、一見華やかな経歴に感じられるかもしれませんが、その裏側にはいくつもの失敗や悩みもありました。
これからお話しする私の経験が、目標に向かって進むみなさんのなにかのヒントになれば、これほどうれしいことはありません。
幼少期、「物覚えが早い子だ」と言われていました。言葉を話し始めたのも早く、2歳で50音表を読み、5歳の時にはパソコンでタイピングなどもしていたとか。一方、口から出る言葉には「ところどころにおバカな感じがにじみ出ていた」と母は言います。
5歳の時、ピアノの先生から小学校受験をすすめられたのがきっかけで受験しましたが、本番直前期に、公園の鉄棒で頭を強くぶつけ、ドデカいばんそうこうをおでこに貼って試験会場へ向かう羽目に。
面接で「いつも家を出る時、お母さんから何と声をかけられますか?」と問われた私。普通に考えたら、「いってらっしゃい」とか、そういうことですよね。よっぽど頭をぶつけたのが衝撃だったのか、ばんそうこうを指差し、「『鉄棒に頭をぶつけないように気をつけなさい』と言われます」と答えたそうです……。幸いにもご縁をいただき、追手門学院小学校と神戸海星女子学院小学校に合格することができました。
幼馴染の家にお呼ばれしたくて塾へ
神戸海星女子学院小学校への入学で、私の環境は一変しました。一貫校のため大学まで受験がなく、低学年時の学校の成績は「中の上」程度。宿題以外で机に向かうことは、ほぼありませんでした。
塾へ通い始めたのは小学校3年生か4年生の時です。幼馴染が進学塾として有名な浜学園に通うことになり、幼馴染のお母さんから、
「ゆかりちゃんも浜学園通うなら、そのあとうちで遊んで帰りなよ」
と誘われ、幼馴染の家に行きたいという一心で、浜学園に通い始めました。
勉強する気は一切ないので、当時のノートは落書きばかりでまともに開いた形跡はありません。当然成績も無残でした。月に一度の学力テストで偏差値マイナスを記録した時は、母も膝から崩れ落ちていましたね。本当にひどかったです。
そんな私も、ついに目覚めの時が訪れます。きっかけは6年生の秋、(系列の中学校へ進学せず)外部受験に向けて猛勉強していた同級生が放ったひと言でした。
「ゆかり、アホすぎやろ」
普段はのんびりした性格の私ですが、このときばかりは
「アホちゃうし!」
と猛烈な悔しさが込み上げ、人生で初めて自発的に勉強を始めました。多少は伸びたと思うのですが、外部受験の同級生にはちょっとやそっとでは追いつけるものではなく、そのまま小学校時代は終了しました。


