「勉強のできる子」と「頭のよい子」は違う
勉強のできる子、それは学校の成績がよい子のことでしょう。過去に出題した前例があり模範解答のある問題をきちんと暗記してテストで正解できる子どもです。それに対し、頭のよい子は前例のない、模範解答のない問題に仮説を立て、自分の考えを導き出せる子どもです。
世代の違いはあれど、「イイクニカマクラバクフ」と多くの方が学校で習われたと思います。私たちはこれが勉強であると、ずーっとそう思ってきました。いかに知識を沢山覚えるか。沢山覚えた子が勉強のできるこどもでした。
それに対して、頭のよい子は、与えられた知識を自分の生活や社会にどう活かしていくかを自分で考え、仮説を見いだせる子どもです。「イイクニカマクラバクフ」という知識を、知恵に替えられる子どもなのです。
それは、得た知恵を使って実際の社会課題の解決に挑戦する子どものことです。すなわち、頭のよい子が育つ家で学んだことを、少子高齢社会のあるべき街、国にすることができる資質をもった、我が国のリーダーになれる子どもたちのことなのです。
「頭のよい子」が繰り返していた学習法
私は2000年から、25年間にわたり、「頭のよい子」のあらゆる生活パターンについて、1000件以上のケースを調査してきましたが、できる子=頭のよい子は子ども部屋で勉強しないという結論は、頭のよい子を育てるための唯一の回答でありません。家は、あくまでも生活の舞台、すなわち「すまい」であって、大切なのは、どんな「くらし」をしたいのか、という家族の意思なのです。
頭のよい子たちはどんな本を読んでいるのか、テレビを誰とどのようにして観ていたのか、夏休みの自由研究はどのようにしていたのか、こづかい帳はどのようにつけていたのか、何を母親の想い出の味として大切にしてきたのか、それはなぜか。そのためには台所のレイアウトはどうなっていたのか、などなど……。「頭のよい子は子ども部屋では勉強しない」という結論は、頭のよい子を育てるための環境づくりに必要なさまざまな要素のごく一部にすぎなかったのです。
「頭のよい子が育つ家」では、どの家庭でも、まず最初にあったのは、「知識を知恵に替える」という目的です。それに対して、「台所で繰り返し探究学習を行う」という目標を設定し、その最適手段として、あるべき台所のプラン・レイアウトをデザインする、日々のくらしの中でこうした繰り返しをしていたのです。
難関校に合格した家庭では、特別な教材があったわけではありません。
日常の中で、
・気になったことを調べる
・自分の言葉で話す/書く
・家族で共有して深める
という行動が繰り返されていました。私はこの循環を「3X」(Explore=探求、Express=表現、Exchange=共有)と名付け、「生涯コミュニケーション探究学習」という概念にまとめました。


