日本にはもう「正解のレール」はない
湯﨑氏は「日本は、ある意味で“できあがっちゃっている”」とも話す。偏差値の高い大学に進学して、ある程度の企業に就職して、何十年も勤め上げる――。そうした人材が経済成長を支え、日本を世界で有数の経済大国に押し上げた。ゆえに教育制度もそのレールに沿って確立されてきた。
しかし、経済成長はバブル崩壊と共に停滞を続け、終身雇用制度の崩壊、内需の縮小が続く。「正解のレール」は失われた。
コロナウイルスの蔓延もあり、現代は先が見えない時代になっている。レールを敷くにも、どこにそれができる土地があるのか、どんなレールを敷くべきか。さらに、その上をどのように走るか。
これからの時代に必要な「自ら問いを見つける・立てる能力」を培うには、いまの教育制度は十分に対応できないというのが、湯﨑氏の思いだ。
もちろん、文部科学省を中心に教育業界も手をこまねいているわけではない。さかのぼれば、湯﨑氏が大学生のころからクリティカル・シンキングの重要性が叫ばれはじめていた。最近では「ゆとり教育」や学習指導要領の見直しなどを行っている。湯﨑氏もこうした動きを一定評価している。
「それでもやはり、現場が変わらないことには始まらないなと。そしてそれを、広島からできないかと考えました」
「偏差値が高いから東大」は違う
叡智学園では、教師は生徒に一方通行の教育を行うのではなく、あくまで生徒が自律的に興味を持ち、学ぶことを引き出す立場をとる。
さらにいわゆる普通の学校にあるような中間・期末のような定期試験はない。言い換えれば「テストで点を取るため」ではない学びが繰り広げられている。もちろん学習指導要領に則ってはいるが、一般的な大学入試で求められるパフォーマンスを必ずしも出せるわけではないのも事実だ。
教育スタイルだけでなく、県立校でありながら県外の子どもにも門戸をひらいている。きわめて先進的・異例な取り組みずくめであるからこそ、周りの目も厳しくなる。相応の結果が求められることは想像に難くない。
そんな中、この春には1期生として2019年に入学した生徒たちが6年のカリキュラムを終え、卒業した。結果は前述の通り、述べ105人が華々しい実績を叩き出した。
「叡智学園の教育は、日本的な入試で求められるパフォーマンスと必ずしも相性が良いわけではありません。しかし、1期生の実績である程度の結果を出せたことには安心しています。
『なんだ、結局良い大学に行かせたいんじゃないか』と思われてしまうかもしれませんけれど、強調したいのは叡智学園の真髄は『自分が何をやりたいのか』を突き詰めて考えさせて、その道に進んでもらう点にあること。偏差値が高いから、東大や早稲田、慶應に行くではなく、やりたいことをきわめた結果、そうした大学にいっているに過ぎません。
また、よく誤解されるのですが叡智学園はグローバルな人材を育てているのではなく、ローカルを含め世界中どこでもリーダーになれる人材を育てたいと思っています」



