逆転こそ正義という明治の御代
「明治」とは、逆転の時代だ。
保元・平治の乱以来、700年にわたって四民の上位に君臨していた武士階級がいきなり無くなった。それまでは威張っていられた武士たちも、浮世の職を求めなくてはいけなくなったのだ。武士にとっては試練の……否、受難の時代であっただろう。
学問の世界では、知識体系の根幹がひっくり返った。江戸時代の知識人たちは、儒学・漢学が知識のベースだった。「学問」といえば儒学のことで、武士たちの知識体系の基礎はあくまでも漢文であった。これは、江戸幕府が儒学の中でもことに朱子学を重んじ、「官学」としたことに由来する。したがって江戸時代の武家社会においては、いくら日本の歴史に精通していても、いくら和歌を上手に詠んでも、漢文の解釈ができなければ、「あいつは学が無い」と謗られた。だから武士の子は、おおむね7歳になると袴を着け、「子、曰く……」と、四書五経の素読をはじめるのが常であった。
そんな時代、西洋の学問である蘭学や洋学は、世間的にはなんだかいかがわしいものと誤解され、キリシタン伴天連の妖術のように思われていた。漢方医学を「本道」というのに対して蘭方医学を「外道」と位置づけ、蘭学者の集まりを「蛮社」と呼んだことからも、なんとなく当時の扱いが窺われる。
こうした風潮がまっ逆さまに逆転して、なんでもかでも「西欧のものが優れている」となったのが、明治の御代なのだ。