「不安のない育業」へ。社員の意識を変えた3施策。
社員の8割以上を男性が占める東京ガスでは、「男性社員の働き方を多様化させることが、すべての社員の働きやすさや組織の変革につながる」という考えのもと、2023年11月に「育業推進の3本柱」をスタートさせた。
「この施策は、男性社員を対象としたアンケート結果から浮き彫りになった『育業するにあたっての不安』を解消することを目的に誕生しました」と話すのは、同社常務執行役員で、DE&I(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン)推進担当の小西雅子氏だ。
「アンケートで浮かび上がった不安は3つありました。1つ目は収入減少への不安、2つ目はキャリアアップ阻害への不安、3つ目は周りのメンバーに負担をかけてしまうのではないかという不安です。そこで、それぞれの不安を取り除く施策を検討しました」
まず1つ目の施策は、「収入面での不安解消」だ。育業中の所得減をカバーするため、育業当事者に「応援金(※)」を支給したほか、1か月を上限として賞与支給が減額されない制度を整備した。2つ目は「昇格制度の見直し」だ。所定の昇格日(4月1日)に「育業中」や「育業明け」であっても昇格できるよう制度を変更。育業中に昇格を果たした実例もすでに生まれており、「育業=キャリアの中断」というイメージを社内で払拭することにもつながった。
(※)国による「出生後休業支援給付金(両親ともに14日以上育業した場合、出生時育児休業給付金等とあわせて最大28日間、手取り10割相当を支給)」創設により、2025年度より廃止
そして3つ目が、「職場の同僚に迷惑をかけたくない」という心理的ハードルへの対応だ。注目すべきは、育業当事者を支える周囲の社員が行う業務を人事評価の加点対象として明確に位置付けたことだ。「育業当事者を支えた社員の人事評価を加点する」という制度は、職場全体で育業を応援する気運醸成につながっている。
「従来から人事評価に使われている『ミッションシート』と呼ばれる目標管理表の『付加業務』の項目に、自身が行った育業当事者への支援内容を記載できるようにしました。また、評価者はこうした内容に対し、業務の施行状況や、支援する姿勢、業務改善や、成長といった多角的な観点から評価をおこなっています。これにより、育業当事者のサポート業務も正当な評価対象となり、査定やボーナス、昇格にも反映できる仕組みとなっています」と小西氏。
制度導入後、実際に育業当事者を支えた社員からは「普段は任されないレベルの仕事に取り組むことができ、自身のスキルアップにつながった」「いつもとは異なる視点から業務と向き合う機会となり、成長を実感できた」といった声が多数寄せられているという。単に制度として整備しただけでなく、それが現場における学びやキャリア形成の一部として根づき始めていることが、同社の施策の効果を物語っていると言えるだろう。
育業がもたらした多方面への好影響
同社が「育業推進の3本柱」を導入した背景には、2019年策定の経営ビジョンで、ダイバーシティに取り組む姿勢を明確にしたことがある。「育業は女性だけの問題ではなく、全社員が関わる組織文化の一部である」という考えに基づき取組を推進。事前アンケートにより社員の実情とニーズを把握した上で、必要な制度をピンポイントで整え、2023年11月に一斉にスタートさせたことが、社内全体に制度を浸透させた大きな要因となった。
その成果は、育業取得率や育業期間といったデータにも明確に表れている。2022年度の男性社員の育業取得率は47%だったが、2024年度には99%となり、また、2022年度に21日だった平均育業期間も2024年度には63日と、わずか2年で約3倍にまで伸長した。もはや「男性も育業して当然」という空気が社内で定着している。

同社では、育業した社員を対象に事後アンケートも実施しており、その中で「家庭への良い影響があった」という回答が9割、「仕事にも良い影響があった」という回答が7割と高い評価が得られたという。また、この調査で育業当事者とパートナーの双方に「育業制度の満足度は100点満点で何点か」と聞いたところ、育業当事者の満足度は「90点」、パートナーの満足度は「85点」と育業当事者だけでなくパートナーからも高い満足度が得られていることがわかった。
さらに、育業が仕事へ好影響を与えている点も注目すべきポイントだ。「仕事の進め方を見直す良いきっかけになった」「育業前より一層、生産性向上や業務効率化への意識が高まった」「タスク整理やマネジメントの視点が鍛えられた」といった声も多く、育業が自己成長や組織改善に資する機会とされていることが明らかとなった。
一方で、育業する社員が増えたことで、チーム全体の業務配分に新たな課題が生まれていることも事実だという。
「年間200人も育業する社員がいますから、各職場、特にマネジメント層は苦労していると思います。時には同じ職場で育業する社員が2人、3人と出ることもあり、その時にどうやって業務を回していくかという課題はあるでしょう。しかし、それがきっかけとなり、『チームで支え合う体制』『業務の属人化を減らす仕組み』『チーム内のスキルの平準化』など、組織の基盤づくりにもつながっています。これらは、制度が定着したことにより、もたらされたポジティブな副産物だと考えています」
制度導入から約2年が経過した現在、「育業支援」が人事評価として加点されることも後押しとなり、同社では育業を前提とした業務設計やチームマネジメントが自然と行われるようになっている。社員個人にとっても、会社にとっても、育業制度が理想的な形に落ち着きつつある段階に入ったといえるだろう。
育業の推進により整った「多様な人材が活躍できる職場」からの進化
現在、東京ガスは創業140周年を迎え、「第三の創業期」という転換点に立っている。第一創業期は会社の設立時、第二はLNG(液化天然ガス)導入を軸とした成長期、そして第三は脱炭素社会に向けた挑戦の時代。これまでのガス中心のビジネスモデルから、電力、再エネ、水素など多様な事業領域に進出し、大きな構造変化を迎えている。
そのような時代のなかで、事業戦略と並行して不可欠なのが「人事戦略の進化」だ。新たな技術やサービスを展開していくためには、多様な専門性と価値観を持つ人材が必要となる。そのため同社では、「多様な人材が専門性を活かして活躍できる環境づくり」を人事の根幹に据えている。その象徴的な取組が育業の推進なのだ。
すでに電力契約は400万件を超え、東京ガスは「電力会社」としても地方の電力会社を凌ぐ規模へと成長している。また、脱炭素化に向けた水素エネルギーの開発など、未来を見据えた投資にも積極的に取り組んでいる。こうした多分野展開を支えるのは、一人ひとりの社員の「働きやすさ」と「成長機会」の保証に他ならない。
今後の展望について、小西氏はこう語る。
「育業については社内でも浸透し、私たちの最終的な目標である『多様な人材が活躍できる職場』に向けて、制度も環境も整ってきました。これからは『多様性を力に変える』というスローガンを具現化し、その具体的な事例を示すことで、他社や社会にも波及させていきたいと考えています」
育業当事者、パートナー、そして育業を支える周囲の社員、それぞれにメリットをもたらす「三方良し」の仕組みづくりは、他企業にとっても参考になる事例と言えるだろう。
制度をつくるだけでなく、それを活かして成果を出す会社へ……。東京ガスの「第三の創業期」を支えるカギは、多様な人材が活躍できる人づくり・組織づくりにあった。