※本稿は、矢野耕平『ネオ・ネグレクト 外注される子どもたち』(祥伝社新書)の一部を再編集したものです。
夜の公園に「放牧」される子どもたち
東京湾岸エリアの某所にある大規模タワーマンション群の近くに一軒のドラッグストアがある。夜遅い21時くらいにこの店の中で「たむろ」している小学生がよく見られるという。
その光景を目撃した母親は語る。
「小学生の集団が店内でうろうろしている。女の子たちは数人固まって化粧品コーナーに置かれている試供品を使って『お化粧ごっこ』に興じているのです。その中にわたしの知り合いのお嬢さんがいたので、『あれ、ママはどうしたの?』と声をかけたのですよね。そしたら、『近くのお店にいる』と。なるほど、ドラッグストアのすぐそばには居酒屋があるのですね。そこで、ドラッグストアにたむろしている小学生たちの親が集まって飲んでいるのですよ。ネオ・ネグレクトの意味を伺ってこの話が思い浮かんだのですが……」
この母親は一瞬ことばを詰まらせたあと、わたしにこう告げた。
「そう考えると、わたしもネオ・ネグレクトに手を染めてしまっているのかもしれない……」
母親が語るにはこういうことだ。
この母親もそうだが、タワマンで仲の良いファミリー層は一様に共働きだという。そしてわが子が幼児のころからの付き合いだ。その母親たちが週末に近隣のファミレスに集まって、夕方から食事を兼ねて2時間程度お酒を飲むという。
そのとき子どもたちはどうしているのか。
夕飯を終えてじっとしていられないためファミレスに隣接している公園で走り回っているというのだ。
それにしても、夜の公園である。不審者がいないとも限らない。この点について尋ねてみると、この母親はこう返答した。
「大丈夫ですよ。マンションに囲まれた地元の小さな公園で、外部から人は入ってきませんし、ファミレスの窓から子どもたちが遊んでいる様子がちらちらと目に入るので、『ああ、あそこで遊んでいるな』と確認ができますし」
「ただ」とこの母親は声のトーンをすこし落とした。
「ネオ・ネグレクトの話を聞いて、ああ、自分は良くないことをしていたのかもしれないとは思いました。当初は『ママ飲み』の場にいても、子どもたちがいるからと考えて、わたしはお酒を飲むのを控えていたのです。ところが、いつの間にかわたしも何の疑問も持たずにお酒を飲むようになっていた。いま振り返ればという話ですが、いろいろと感覚が麻痺していたのかもしれません」


