JR東日本グループの駅や鉄道、また不動産などを実験場とし、東京大学の多様で先端的な知を実証していく――。JR東日本と東京大学の「100年間の産学協創協定」が注目を集めている。すでに複数の企業がプロジェクトに参画し、活動拠点となるTAKANAWA GATEWAY CITYには間もなく「東京大学 GATEWAY Campus」も開設する。“人・街・地球の全ての健康のバランスが取れた状態”といった意味を持つ協創ビジョン「プラネタリーヘルス」の下、どのような理念で何を目指すのか。東京大学の五十嵐圭日子教授とJR東日本の松尾俊彦氏が語り合った。
左:五十嵐圭日子(いがらし・きよひこ)、右:松尾俊彦(まつお・としひこ)
左:五十嵐圭日子(いがらし・きよひこ)
東京大学産学協創推進本部 副本部長
東京大学大学院農学生命科学研究科
副研究科長 教授
専門は木質科学。植物細胞壁の生分解に関する研究などを行う。今年10月に開設する「東京大学 GATEWAY Campus」内に設置されるプラネタリーヘルス研究機構(RIPH)の機構長を務める。博士(農学)。
右:松尾俊彦(まつお・としひこ)
東日本旅客鉄道株式会社
マーケティング本部まちづくり部門
品川ユニットマネージャー
まちづくり企画や新規事業企画などを経験。TAKANAWA GATEWAY CITYの企画では主にパートナー企業との協創事業づくりに従事している。

今、人間中心の視点から脱する必要がある

【松尾】2022年は鉄道開業150年の節目の年。開業時、高輪の地には海上に列車を走らせるための画期的な築堤が造られました。JR東日本として次の100年、150年を見据え、世界最大規模の顧客基盤や築いてきたインフラを生かして未来のくらしに貢献したいと考えたのが今回の協創の背景です。東京大学との連携を土台に多くの企業や研究機関などの参画を得て、多様な実証事業を通じて社会課題解決に取り組みたいと思っています。

【五十嵐】東京大学も再来年が創立150周年。研究成果の実用化やそれに基づく社会課題の解決は常に重要なテーマであり、今回、象牙の塔ともいわれる大学の研究室を飛び出し、リアルな人、社会と交わりながら研究や実証事業ができることに大きな魅力と価値を感じています。

【松尾】「プラネタリーヘルス」というビジョンもすぐに決まりましたね。今、人のウェルビーイングが重視されていますが、人は地球の一部分であり、人だけが健康ということは本来あり得ない――。

【五十嵐】「地球環境を守るのか、人の快適性を維持するのか」といった二者択一の議論では問題は解決しない。人間中心の視点から脱する必要があるというのは関係者全員の共通の認識でした。

画期的な研究成果の多くはセレンディピティの産物

【松尾】住宅やオフィス、商業施設などからなる高輪の新たな街、また1日約1500万人に上るJR東日本の駅の利用者は、まさしく“壮大な実験場”。イノベーション創出の拠点とすることを目指しています。

【五十嵐】研究者にとって“試行錯誤できる環境”というのは本当に貴重なんです。今回、食や睡眠をはじめ生活に関わるさまざまな研究、サービス開発を進めていきますが、研究室にこもって考えるのと、実際に人と交わりながら考えるのとでは発想が全く変わってくる。働く人、暮らす人から継続的にフィードバックを得られるのは大きくて、調整や改善を細かく行いながら研究や開発を進められます。

【松尾】私はまちづくりの関連でスタートアップの方ともよく話をしますが、同じことをおっしゃいます。「試す場がない」と。個々のニーズや嗜好しこうが多様化する今、きめ細かな仮説検証の繰り返しが欠かせません。そうした中、私たちは街で働く人、暮らす人、駅を利用する人も協創のパートナーと捉えており、価値の提供者、需要者という区分けはしていません。

【五十嵐】だからこそ、新設する「東京大学 GATEWAY Campus」も街とシームレスにつながる場とすることを意識しました。せっかくの新キャンパスに垣根を設けてしまってはもったいない。

【松尾】そしてもう一つ重視したのが、さまざまな分野の研究者が集える学際的な場とすることでしたね。

「東京大学 GATEWAY Campus」を誰もが気軽に「知の交換」をできる場にしたい。多くの企業や研究機関の 参画を得て協創のエコシステムを構築したい

【五十嵐】「東京大学 GATEWAY Campus」をつくるに当たり、まず決めたのが「特定の学部のものとしない」ことでした。今の時代、縦割りの発想では十分な力を発揮できず、複雑化する課題を解決できません。東大の研究者だけでなく、企業や他の研究機関の人も含め、誰もが気軽に“知の交換”をできる場。それが新キャンパスの理想的な在り方です。

【松尾】それはまさに、今ビジネスの世界でも求められているものに違いありません。一口に新規事業、イノベーションと言っても簡単には生み出せない。同じ組織の中で話していても、結局従来の延長線上で思考してしまう。そこで何より必要なのが“異質なものの掛け合わせ”、それがもたらす気付きやひらめきです。

【五十嵐】実際、画期的な研究成果の多くはセレンディピティの産物です。偶然性や予期せぬ出会いというのは極めて大切な要素。ぜひ、「東京大学 GATEWAY Campus」はそれを体現する場にしたいですね。

「東京大学 GATEWAY Campus」の「コラボレーションエリア」(左)と「ラボエリア」(右)のイメージ図。キャンパス内にラウンジを設けるなど、多様な研究者、企業人が気軽に集える場を目指している。
「東京大学 GATEWAY Campus」の「コラボレーションエリア」(左)と「ラボエリア」(右)のイメージ図。キャンパス内にラウンジを設けるなど、多様な研究者、企業人が気軽に集える場を目指している。

「失敗を許容すること」も協創における大事なテーマ

【松尾】今回の協創では「失敗を許容すること」も大事にしたいと思っています。失敗は仮説検証を繰り返す中で生じる成功への通過点です。私は中学校に出前授業に行くことがあるのですが、生徒に印象に残ったことを聞くと、「安全第一の会社が『失敗してもいい』と言った」と言われます。今、子どもたちも失敗が許されないのでしょう。ただ大事なのは、失敗しないことではなく、それを成功の糧にすること。ここは強調したいです。

【五十嵐】同感です。大学生も、また我々研究者も、今失敗が許されず、短期的な結果が求められている。しかし、そうした環境でブレークスルーはなかなか起きません。まして100年後の地球やくらしを支える技術やサービスを生み出すことは難しい。失敗を大切に。大賛成です。

【松尾】今後もそうした考えに共感する多くの企業や研究機関がプロジェクトに参画することを願っています。150年前、鉄道開業という一大イノベーションを支えた高輪の地を中核として、プラネタリーヘルス創出に向けた協創のエコシステムを構築することが目標です。

【五十嵐】そして鉄道は、他の都市へ、地方へと毛細血管のようにつながっている。それを活用し、より幅広い範囲で取り組みの価値を高めていけたらと思います。