東京都は2022年、育児休業の愛称を公募によって「育業」と決定。育児を「休み」ではなく「大切な仕事」と捉え、育業を社会全体で応援する気運醸成に取り組んでいる。育業の推進に向けて先進的な取組を行う企業に話を聞く3回連載の1回目は、第一生命ホールディングス。2025年10月から、育業や介護休業で職場を離れる社員が所属するチームに「産育介休サポート手当」を支給する制度を導入する。この制度を始める背景、育業推進を通じて目指していることについて、第一生命ホールディングス執行役員でグループCHROの沼田陽太郎氏に話を聞いた。

育業する社員とサポートする社員。両者の不安を解消

同社は2025年3月、「産育介休サポート手当」を今年の10月に開始すると発表して注目を集めた。これは、連続3カ月以上、育業や介護で職場を離れる社員がいるチームに対して支給される手当で、育業する当事者の職位によって金額は18万円〜95万円と変わる。手当は、業務負荷に応じて所属長が各チームメンバーに配分することになっている。

同社が2025年10月より開始する「産育介休サポート手当」。最大95万円の手当を業務負荷に応じて、所属長が柔軟に分配できる仕組みを取り入れる。
同社が2025年10月より開始する「産育介休サポート手当」。最大95万円の手当を業務負荷に応じて、所属長が柔軟に分配できる仕組みを取り入れる。

育業する当事者ではなく、職場の業務をサポートする同僚に手当を支給する制度は、近年、大企業を中心に事例が増えてきている。「周りに迷惑をかける」といった理由で育業を躊躇する人たちの不安を解消し、チームの助け合いを促す施策として期待がされている。

「産育介休サポート手当」を導入した狙いについて、第一生命ホールディングス執行役員でグループCHROの沼田陽太郎氏は、「育業する当事者と周囲の社員、両方の課題を解決する施策」と話す。

第一生命ホールディングス執行役員でグループCHROの沼田陽太郎氏。1995年に入社。第一生命ベトナム、DLI NORTH AMERICAなどを経て2023年より現職。
第一生命ホールディングス執行役員でグループCHROの沼田陽太郎氏。1995年に入社。第一生命ベトナム、DLI NORTH AMERICAなどを経て2023年より現職。

「育業する当事者は、職場の同僚に業務上影響が及ぶのに、自分には何もできないというもどかしさがあり、期間を長く申請しづらかった。一方、当事者が属するチームのメンバーも、育業の大切さを理解していても、負担が増えるだけというのは歯痒さが残ります。負担が増えるメンバーに対して会社から経済的なサポートがあれば、双方にとってプラスになるはずです」

手当が個人ではなく、チームに対して支給されるところもユニークなポイントである。

「チームのメンバー1人1人を把握している所属長が配分を決めるべきだと考えました。私たちも大きな会社ですから、誰に業務負担がかかっているのかなど、人事がすべてを把握するのは難しい。現場を見ている所属長が決めることで、『高い負荷がかかる社員に、より多くの手当を』という柔軟な対応ができるようにしました」

現場負担に合わせた手当配分という自由度のある制度に、社内からはどのような反応があったのだろうか。

「制度の導入に反対するような声は全くありませんでした。むしろ現場だけでなくマネジメントを担う役職者からもポジティブな反応がありました。制度導入は10月なので、社内に浸透してより育業しやすい雰囲気がつくられていくことを願っています」

「産育介休サポート手当」にかかる費用は既に予算化されており、年間の収支計画にも織り込まれている。突発的な施策ではない、という同社のコミットメントが感じられる。「当社が目標としている、『男性社員の累計1カ月以上の育業取得率100%』を達成する起爆剤になれば」と続ける沼田氏だが、「産育介休サポート手当が、すべての課題を解決する最終手段だとは思っていません」とも話している。「実施したら効果検証を行い、必要があれば次の手を考えていく。様々な境遇にある社員が安心して働ける環境を実現するために、これからも育業推進の取組を続けていく」と強調した。

社員の声に耳を傾け、聞こえてきた本音

第一生命グループが育業推進を本格的に始めたのは2009年度。「もともと当社は女性社員が多く、育児と仕事を両立しながら活躍する社員が少なくありませんでした。男性社員も主体的に家事や育児を担い、ライフワークマネジメントの実現を図ってほしいという考えから育業を推進してきました」と沼田氏は語る。

その後、子供を持つ年齢が多様化するにつれ、マネジメント層が育業することも増え、部下も育業しやすくなるという波及効果も出てきたそう。「育業を経験すると、ほかの社員が育業することへの理解度も上がり、『育業する当事者を支えよう』という空気も広がります。子育て中の女性の働き方への理解度も上がりました」

そうしたことから2021年度には男性社員の育業取得率は9割を超えた。しかし、その一方で平均期間は11.8日と短かったことが課題だった。

このため同社は、男性社員全員が累計1カ月以上育業することを目標に掲げて取組を強化。育業する社員への有給休暇の付与日数を増やし、安心して長期間、育業できるよう、当事者と上司が対話して作成する『育休取得計画書』も導入した。業務の引継ぎや復帰の仕方について意見をすり合わせ、育業中の過ごし方や復帰後のライフワークマネジメントについて具体的に考えることで、当事者が職場を離れる不安を解消することを目的にした。

こうした施策により、2022年度には男性育業取得率100%を達成。また、2023年度の平均育業期間は23.1日となり、2021年度から約2倍になった。しかし「そこから伸び悩んでおり、目標には到達していない」と沼田氏。

「育業した当事者の声を聞くと、『本当はもっと長く育業したかった』という人が非常に多く、『会社の目標の1カ月以上を超えて、3カ月以上育業したかった』という人が3割にものぼりました。やはり職場への影響を考慮し、遠慮して短期間で復帰しているようです」

沼田氏は、育業する当事者だけでなく周囲の声にも耳を傾けた。少人数の座談会形式で役員が社員らの声を聞く「役員と語る」では、ある時「理屈ではわかっているが、実際に育業や短時間勤務でチームのメンバーが抜けると、それだけ仕事の負担が増えてしまう」といったサポートする側の声が印象に残った。「こうした歯痒い気持ちを抱える社員は、ほかにもたくさんいるだろうということは容易に想像できます。また、そうした同僚たちへの負い目が育業期間の伸び悩みに繋がっているのではと考えたのです」

そこで、「目に見える、よりわかりやすい形で、当事者の周囲に働きかける“何か”が必要」と考え、先ほどの育業した当事者の声も参考に生まれたのが連続3カ月以上の取得を支給要件とする「産育介休サポート手当」だったのだ。

なぜ育業取得率100%がゴールではないのか

「産育介休サポート手当」など育業推進の先に、「組織全体の多様性向上を見据えている」と沼田氏は語る。

「かつて多様性は『あった方がいいもの』と捉えられていたかもしれませんが、今は『なくてはならないもの』になっています。その背景には、『同質性の罠』に陥らないようにしなくてはならないという企業意識があります」

「同質性の罠」とは、企業に所属する人材の同質性が高いと、新しい視点が入りにくくなり、同質的な文化が維持され続けてしまうことを指す。

「こうした状態が続くと重大な問題が起きても、それが『危機的な状況』であることすら社内で気付けなかったり、もし気付いてもそれを指摘できなくなったりしてしまう。それに、新しい視点が入らないとイノベーションも生まれにくい。これからの企業成長のためにも、多様性は欠かせません」

「産育介休サポート手当」は、その名の通り、育業だけでなく介護休業も対象である。「子育ては、経験する人・しない人がいますが、介護は誰でも関わる可能性があります。それに、産育介休サポート手当は、単に、『育業しやすくなる』『介護休業が取りやすくなる』『周囲の納得が得られやすくなる』という影響だけでなく、組織全体の多様性を向上させるなど、育業取得率100%にとどまらず企業文化全体に与える影響が大きいと考えています」と沼田氏は力を込める。

「私たちはモノを作る会社ではありません。人財がすべて。そして、人財戦略の中で、多様性の向上は最大のテーマです。今回の施策も、様々なバックグラウンドや価値観を持った社員が活躍できる組織を実現するための、一つのステップです。これが心理的安全性の向上につながり、第一生命グループで働くことにやりがいや誇り、よろこびを感じてもらえるようになればと考えています」

同社は育業の推進をきっかけに、多様性のある職場環境の実現を見据えている。当事者だけでなくサポートする同僚の背中も押すことで、互いの境遇や考え方を理解し合う風土が組織内に定着していくに違いない。