およそ、あらゆる教育は、時の政治を担う権力者の意向と離れて、真空状態で実施されるものではない。身分固定の封建社会であった江戸期、富国強兵によって大国化への道を歩んだ明治時代、無残で悲劇的な敗戦に至る昭和初期。そして敗戦後、民主主義教育が米国による日本の軍事的な無力化と並行する形で始まった。数百年の日本の歴史を振り返るだけで、教育の形や中身は、その時々の国の要求に沿ったものであることが理解できる。

軍事的な統治を基本に、身分固定制度が徹底していた江戸期は、学問を修めたとしても、それが立身出世の道につながるわけでもなかった。せいぜいが教諭のかたわら著述を業として、小宅で生涯を終える程度だった。経済的な利益、社会的な権勢は望むべくもなかったが、江戸期は学問が盛んで、次々と私塾が生まれている。

本書では、江戸期に盛んだった読書会の歴史を軸に、私塾と藩校の生い立ちから明治に至るまでの変遷を、江戸期の学問の実態に即して論じている。

藩校に就学する者は原則的に武士のみであったが、私塾は庶民にも門戸を開放していた。そのため私塾では、生徒同士が身分制度から離れて自由闊達に議論を交えることができた。私塾には山崎闇斎に代表される「講釈」、荻生徂徠に象徴される「会読」の、2つの形があった。

会読とは、複数の参加者があらかじめ決めておいた1冊の書を、討論しながら読み合う共同読書の方法である。また、討論する相手を論破することで、学問における優劣を競う真剣勝負の場でもあった。

藩校の歴史は、私塾とは違った過程を辿ったことは言うまでもない。特に、藩の財政が破綻した19世紀に改革が行われ、藩校は藩に有用な人材を育成し、登用するという課題に対する公的機関として位置づけられたことが大きい。ある意味で、学問によって立身出世が可能となった明治以降の科挙形式の官僚登用制度に近く、官僚養成を目的とした帝国大学の創立につながると言えなくもない。

それにしても、なぜ無数の私塾が、会読という形式で学問を競い合うことに興じたのか。著者は、そこで得られるものが権勢でも経済的な利益でもなく、学問研究それ自体を楽しむ「遊び」だったからだと指摘する。

学問を「遊び」として楽しむ精神を江戸期の私塾に求める著者の見方は、あとがきで引用している福沢諭吉の言葉に集約されているようだ。

「人生を戯と認めながら、其戯を本気に勤めて倦まず、倦まざるが故に能く社会の秩序を成すと同時に、本来戯と認めるが故に」精神的な余裕が生まれるのだという。

江戸期の会読に興じた精神は、過酷な明治以後の歴史の中で消えてしまった精神のあり方の1つに違いない。明治以後、失ったものは間違いなく大きいのである。