貫井徳郎(ぬくい・とくろう)
1968年、東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。93年、鮎川哲也賞に応募した『慟哭』で衝撃的なデビューを果たす。2010年、『乱反射』で第63回日本推理作家協会賞、『後悔と真実の色』で第23回山本周五郎賞を受賞する。著書に『失踪症候群』『明日の空』『灰色の虹』ほか多数。

重厚な長編が多い。この物語も5章から構成される。都市銀行に勤める仁藤俊実は最高学府を卒業して入行したエリート。温厚、冷静で黙々と仕事をするので若い女性行員のウケもいい。そんな仁藤が妻子を殺害した。動機は「本の置き場がほしかった」。これだけの理由で、妻と3歳になる娘を殺すのだろうか。マスコミは大々的に報じた。着目したのが小説家である「私」。この事件をテーマにノンフィクションを書こうと取材を始める。仁藤の人物像を知るために勤務先、大学、高校、中学、小学校とさかのぼって同級生や自宅付近の住人などから話を聞いていくうちに、本人の周辺で不可解な死が複数起きていたことが判明した。事件だとすれば、いずれも常識的には考えられないような動機である。

この作品を書くきっかけになったのが『追憶のかけら』(2004年)。読者から最後で犯人の動機が納得できないという声がいくつか寄せられたことだった。

「ミステリーの世界では、常識から外れた動機を書くと、そんなことはありえないといわれる。動機を読者に納得してもらうにはどうしたらいいか。最後に動機を明かすのではなく、最初からおかしな動機をいくつも出していったらどうだろうと思いついたんです」。リアリティーを出すために、実際に銀行も取材した。

「難しかったのはそれぞれの章ごとにアプローチを変えていくことでしたね。1章では状況を説明、2章では被害者側、3章は目をつけた刑事の話にして目先を変えていった。これがすごく大変でしたよ。3章まで400字、100枚ペースで書いていったんですが、4章はつらくなって50枚で終わってしまった」

2012年、直木賞上半期の候補作『新月譚』の主人公は女性小説家。この作品も作家。「その都度、自分の興味のあるものを書いているだけで、とくに、意識はしていません」。原稿は1日10枚と決め、午後から書く。見聞を広げるために英会話教室にも通う。「英会話を習い始めたのは海外を舞台にした小説を書くため」。おかげで日常の英会話には不自由しないようになった。最近、読んだ本で印象に残ったのは篠田節子さんの『沈黙の画布』。「エンターテインメントに背を向けているような書き方で、自分のオリジナルなものを書いていこうという気概が感じられる」。今後、どんなものを書いていくのか。「幅広いテーマに挑んでみたいですね」。固い表情を緩めて微笑んだ。