承認してくれる人だけとつながりたい

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今回とりあげる「セルフブランディング本」一覧

しかし、ブランド論における承認の求め方は、やや独特なものです。

「同じ方向性を持っている人とつながるのは嬉しいことです。であれば、自分からその方向性を示すことで、同じベクトルを持つ人を集めやすくなります。もちろん、それは違うベクトルを持つ人を拒否することにもつながります。しかし、それで問題ないでしょう」(倉下、65p)

「情報発信をした結果、ネガティブなことを言う人が、必ずと言っていいくらい出てきます。そういう人はあなたの身近にいることが多く、『そんなの無理だよ』とか『やめた方がいいよ』などと言ってきます。(中略)ネガティブな反応に対しては、きちんとフィルタリングをしていくといいでしょう」(中井、146p)

自分を受け入れてくれる人だけと結びつこう、そうでない人は捨て置く、もしくは積極的に拒否しようという「つながり」観がここでは示されています。社会学者の宮台真司さんは1990年の時点で、オタクから若者一般に広がる、各グループがそれぞれに閉じて外部と没交渉的になっている状況を「島宇宙」と表現していましたが、ブランド論の「つながり」観は、異質な考えを持つ他者を積極的に退けていくという点で、より閉塞的ともいえます(『制服少女たちの選択 After 10 Years』281p)。この連載のスタンスは、自己啓発書とは、薄く広く世の中に拡散している価値観が端的に圧縮された「結晶物」である、というものです。ブランド論では、今述べたような異質な他者への没交渉的態度はさらに煮詰められ、次のような物言いを生むことになります。

「金銭的な社会保障は、国がある程度面倒を見てくれます。しかし『縁』に関わるセーフティネットは、自らの意志で作っておかなければいけないと私は考えます。ソーシャルメディアを活用し、空き時間にマイペースで、普段から意識して自分の周りに『縁』を築いておけば、無縁社会と揶揄される現代日本の病理に巻き込まれることはないのではないでしょうか」(大元、67p)

「ソーシャルメディアを活用し、多くのファンや仲間を作ることができたなら、『無縁社会』と呼ばれる現在の日本で孤独にならず、仕事も趣味も充実した、より豊かな人生にすることができるでしょう」(323-324p)

大元隆志さんは、「無縁社会」という近年の流行語を手がかりに、現在の日本における「薄れ行く血縁」「遠ざかる友縁」「自ら避ける地縁」「崩壊する社縁」という傾向を指摘しています(大元、63-66p)。しかし現代にはソーシャルメディアがあるとして、それを活用すれば「無縁社会」に自分は「巻き込まれ」ないで済むのだとも述べます。こうした物言いには、ブランド論の「つながり」観が端的に表われているように思います。

大元さんの著作が刊行された2011年の流行語(ユーキャン新語・流行語大賞選出)に「絆」という言葉がありました。「つながり」という言葉とともに、実に頻繁に、さまざまな意味で用いられた言葉だと思いますが、これらの一つの用法には、「公共性」を念頭に置いてのものがあります。

私が今使った「公共性」という言葉は、社会学者・浅野智彦さんの『若者の気分 趣味縁からはじまる社会参加』での議論にしたがっています。つまり、「個人の力によっても親しい他者との協力によっても解決の難しい問題」(10p)について、「親しい関係を超えて、その問題の解決に利害や関心をもつという以外の共通点が必ずしもない人々の間に協力関係を組織していくようなつきあい方の作法」を公共性と呼ぼうとする用法です。簡単には解決できない問題を、必ずしも同じ考えを持たない人たちと関わり合いながら取り組んでいこうとする態度。「絆」や「つながり」という言葉の用法の一つには、このような態度の啓発があるのではないでしょうか。

しかしブランド論において、同じ考えを持たない他者は積極的に退けられます。また、大元さんの先の引用にあるように、「無縁社会」のような困難な問題そのものを解決するために取り組んでいこうとする態度は見られません。大元さんは決して悪意で先のような言及をしたわけではないと思うのですが、ブランド論の主張を煮詰めていくと、自分(たち)だけが巻き込まれなければいいというような、利己的な「つながり」観が出てくるように思うのです。