2人目の侍・国内トップ営業の山本幸司

岡は当時こう決めた。

「シンガポールはアセット積み上げ型のビジネスにする。香港の日本人富裕層の口座もシンガポールに移す。カストディーと金利収入の増加を図る。何よりもこれからは本社との連携を強化する。本社にシンガポールと連携するための部署を作ってもらう。シンガポールを基地にして香港、タイ、マレーシアにいる邦人富裕層にもいずれアプローチする」

2012年10月、ひとりの国内営業マンが大和証券シンガポールに赴任してきた。ドメスティック営業の典型だった男、山本幸司である。大和証券に入社してから吉祥寺支店、名古屋支店、従業員組合の役員、銀座支店と国内支店営業まっしぐらの証券マン人生だ。

そんな彼の営業人生は現実に正面から対処するものだった。証券会社の人間が売るものは主に株だった。株は上がり続けることはない。下がることもある。株は経済の反映だけではない。戦争、災害が起こっても変動する。未来のことが確実にわかる人間であれば連戦連勝だろう。だが、未来のことを確実に見通せる人間は世界にひとりもいない。

 

損を出した顧客にこそ堂々と会いに行く

株が上がるか下がるかは誰にもわからない。顧客は得をしたり損をしたりする。

証券会社の営業マンは得をした顧客に対しては連絡を絶やさない。一方、損をした顧客に対しては敬遠しがちだ。だが、山本はそうではなかった。

撮影=永見亜弓

「損を出したお客さまにこそ逃げずに堂々と会いに行く」それが彼の仕事のやり方だった。だから、ナンバーワン営業マンになることができた。山本は高揚した気分でシンガポールに着き、オフィスに出社した。

だが、待っていたのは過酷な現実だった。個人富裕層向けビジネスのセクションはオフィスの片隅にあり、デスクは4つしかない。メンバーは上司にあたるプレイングマネージャーがひとり、そして後輩の営業がひとり、アシスタントがふたり。山本を入れて5人しかいなかった。

部の実績はさらに厳しかった。収支はほぼトントンだったが、そこに山本の人件費を加えたら赤字になる。まずは自分自身の給料を稼がなくてはならない。ただし、顧客はゼロだ。知らない国で、得意とは言えない英語を使って、営業しなくてはならない。

唯一、よかったことは日本人移住者が主なターゲットだったことだった。それなら日本語で営業ができる。