名簿にある個人企業オーナーに片っ端からテレアポ

だが、営業する前にまずやらなくてはならないことがあった。これは山本に限らない。それはシンガポールにおける証券営業員としての資格を取ることだ。その後、日本国内から来星(シンガポール=星港に来ること)してきた営業員たち誰もが最初に直面する関門だ。

野地秩嘉『海を渡った7人の侍 大和証券シンガポールの奇跡』(プレジデント社)
野地秩嘉『海を渡った7人の侍 大和証券シンガポールの奇跡』(プレジデント社)

資格を取得するまではシンガポール国内での営業、勧誘などはできない。オフィスの片隅で英語の試験問題と格闘し、かつ内勤として先輩の補助的な仕事をするしかない。

そして、山本は資格を取った後、営業を始めた、最初はたったひとりの顧客も持っていなかった。国内ではナンバーワン営業マンだったけれど、まったくのゼロからスタートしなければならない。やったことは名簿集めだ。シンガポールに来ている日本人はたいてい「シンガポール日本商工会議所」に加入している。そこの名簿を当たって、個人企業の名前で入っている人間に電話営業することから始めた。

山本は電話をかけてアポイントを取ろうとした。たいていは「結構です」と断られる。

何本も電話をかける。次々と面会を断られる。それでも、たまに「じゃあ、会いましょう」と言ってくれる人がいる。

半年間、客はひとりもできなかった

日本国内で100本の営業電話をすると99本は切られてしまう。それが、シンガポールでは100人のうち5人は面会までたどり着くことができた。傍から見ればわずかな確率だが、証券会社の営業員にとって「20人にひとり」は悪くないのである。

「日本で電話するよりよほど効率がいい」と感じた山本は機嫌よく、元気な声で、電話をかけた。

……しかし、それでもなかなか顧客を獲得することはできなかった。

「電話営業だけではダメだ」と感じた山本はシンガポールの日本料理店に置いてあるフリーペーパーに広告を載せている個人事業の事務所に飛び込み営業をした。また、大和証券と契約している弁護士事務所、会計事務所に足を運んで顧客の紹介を頼んだ。

赴任してからそうした活動を続け、加えて在住者が日本株の売買を行うのを取り次いで、少しずつ手数料を稼いだのだった。シンガポールに来て半年が過ぎた頃、初めての顧客を獲得することができた。

山本は思い出す。

 

「とにかく最初は苦労しました。お客さまがいなかったから、やることがないんです。ただ、東日本大震災の後で、移住する人は増えていました。弁護士事務所、会計事務所へも行きましたが、紹介してもらえるのは半年にひとりといった状態でした」

だが、山本はそこから頑張った。半年間、ひとりも客ができなかったが、日本に戻ろうとは思わなかった。背水の陣で赴任してから、シンガポールに骨を埋める覚悟だったのである。(第2回に続く)

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