「私はまだ真の腫瘍内科医ではない」

なかでも、呼吸器内科の研修では、ある肺がん患者を半年以上担当した。当初、慣れないこともあったろう、患者さんから厳しい調子で指摘を受けたこともたびたびあった。

その患者さんは亡くなるとき林の手を握り、感謝と別れの言葉を口にした。この3年間で林は内科医として生きていくことを決めた。

後期研修先には幅広く内科を経験できるという理由で倉敷中央病院呼吸器内科を選んでいる。倉敷中央病院は西日本がん研究機構に属しており、がん患者を中心とした臨床試験に関わるようになった。そんな林に声をかけたのが、近畿大学医学部腫瘍内科部門の主任教授だった中川和彦だった。

中川の言葉を林は今も鮮明に覚えている。

――私はまだ真の腫瘍内科医ではない。

中川は肺がん分野で、その当時すでに日本を代表する医師であった。林のような次世代の医師にすべての臓器を横断的に診療できる腫瘍内科医になってほしい、というのだ。

林は中川の熱意に動かされて、2009年4月から近畿大学医学研究科大学院博士課程に進み、同時に近畿大学病院腫瘍内科で臨床医として勤務した。

中川が「真の腫瘍内科医」という言葉を使ったのは、がんの薬物療法の急激な進歩と大きな関係がある。

がんの薬物療法――抗がん剤の歴史は、外科手術、放射線治療と比べると歴史が浅く、たかだか半世紀に過ぎない。最初の細胞傷害性抗がん剤は、がん細胞の分裂の仕組みを何らかの方法で阻害、増殖を抑えて死滅させた。

ただし、がん細胞以外にも作用するため重い副作用が伴うことが少なくない。続いて1990年代に、がん化やがん細胞の増殖に関わるタンパク質、酵素の分子などに「標的」を絞って、その働きを抑える分子標的薬が生まれた。そして2010年代に現れたのが免疫チェックポイント阻害剤である――。

そもそも人間は免疫の力により、発生するがん細胞を排除している。例えば「細胞障害性T細胞」はがん細胞を攻撃する性質がある。ところがこのT細胞が弱る、あるいはがん細胞がT細胞に“ブレーキ”をかけるということがある。

このブレーキとなる分子群を免疫チェックポイント分子と呼ぶ。免疫チェックポイント阻害剤は、このブレーキを解除するのだ。

免疫チェックポイント阻害剤の課題

ノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑・京都大学名誉教授の研究を元に開発した「オプジーボ」はその1つである。近畿大学は本庶の研究室とも連携して研究を行っており、林もその研究チームの中心となっている。

この免疫チェックポイント阻害剤は、肺がん、消化器がん、乳がん、頭頸部がん、原発不明がんなどの幅広いがんに使用される。臓器横断的にがんと向き合う腫瘍内科と重なる。

この免疫チェックポイント阻害剤にも課題はあると言うのは、近畿大学病院薬剤部の技術主任で、がん専門、がん指導薬剤師の資格を持つ淺野肇である。

「従来の抗がん剤ならば、吐き気などの副作用が起こりやすい時期を予測できました。そこでこの症状は投与から数日で収まります、あるいは血液の検査値が変化するので、この時期は感染症に気をつけましょうという説明をしていました。ところが、免疫チェックポイント阻害剤に関しては、そのタイミングが明確ではないんです」

人間の免疫系細胞は、がん細胞を攻撃するだけではなく、時に暴走して自らを攻撃することもある。そのため我々はブレーキの役割をする細胞を必ず持っている。免疫チェックポイント阻害剤はこのブレーキをすべて解除することになるのだ。

「免疫の細胞は全身で動いています。免疫チェックポイント阻害剤によって過剰になった免疫細胞が自らの身体を傷つけるということが起きます。それがどこで悪さをするのか分からない。がんとは全く関係ない部位、肺が傷つくと肺炎、腸であれば腸炎、脳や神経、筋肉を攻撃することもあります」

淺野は、従来の抗がん剤と比較して副作用の発現頻度は非常に少ないと念を押した上で続ける。

「免疫チェックポイント阻害剤の投与を何らかの理由でやめて、従来の抗がん剤治療に移っているときにも遅れて出てくることがあります。過去の投与歴も確認して、現在は使用していない患者さんについても免疫チェックポイント阻害剤の副作用が起こりうることを頭に入れています」