がんという問題を発見し、アイディアを実行する力があるか

腫瘍内科とは、診療科の垣根を越えて横断的に固形がんを扱う診療科だ。近畿大学医学部は、2002年に日本で最初の本格的な腫瘍内科を設置している。

そもそも、がんとは何か――。

我々の身体のはじまりは、受精卵という1つの細胞である。この細胞が分裂を繰り返して増殖、身体の組織や臓器を形づくる。身体が出来上がったあとも細胞は“必要に応じて”増殖する。

ところが、このコントロールから外れて、必要以上に細胞が増殖し続けることがある。この余分な細胞の「かたまり」が腫瘍だ。腫瘍は「良性」と「悪性」に分類できる。後者の悪性腫瘍が、がんである。

悪性腫瘍の第1の特徴は「自律的増殖」を行うことだ。そして、がん細胞は水が染み込んでいくように、周囲の組織に入り込み腫瘍を拡大させていく。この第2の特徴である「浸潤と転移」により身体を「悪液質」という衰弱した状態に追いやる。

良性腫瘍も自律的増殖を行うが、「浸潤と転移」「悪液質」は起こさない。ただし、良性腫瘍も増殖を繰り返すうちに悪性に変化することもあるので注意が必要だ。

この「自律的増殖」「浸潤と転移」により、がんは様々な臓器に発生する。がんは日本人の死亡原因の第1位であり、2人に1人が罹るとされている。

治療は大きく分けて3つ。腫瘍部分の切除、放射線治療、そして薬物療法である。腫瘍内科は、血液細胞のがんを除く固形がんの薬物療法を行う。

高濱は腫瘍内科の重要性をこう説明する。

「各臓器のがんには共通の特徴があります。1つの臓器のがんに対して薬、検査などに新しい情報が出たとすれば、他の臓器でも使える可能性が高い。臓器の垣根を越えて治療が進歩する可能性があります」

高濱が近畿大学病院で働きはじめて2年目のことだ。岸和田市民病院の腫瘍内科に出向していた1人の医師が戻ってくるという。肺がんを専門とする国内屈指の若手医師であるという評判を耳にしていた。

「がん治療において大切なのは、がんという問題を発見すること。次に問題をいかに解決するか、実現可能な案を提案する。これがアイディア。さらにこのアイディアを実行できるか。林先生は最先端のアイディアを思いつき、実行する力がある医師なんです」

患者さんと打ち解けて会話をする姿をみた先輩医師の助言

林秀敏は1979年に大阪市で生まれた。医師を志したきっかけは6歳のときだった。父親を肝臓がんで亡くしたのだ。まだ36歳だった。その後は母親が女手一つで子どもを育てた。

近畿大学医学部内科学教室腫瘍内科部門 主任教授 林秀敏
近畿大学医学部内科学教室腫瘍内科部門 主任教授 林秀敏(『Umeboshi』Vol.1より)

「父親を亡くしたときの記憶はないです。自分自身も身体が強くなく、病院を受診することも多かった。そこで医師を意識するようになりました」

母親は学業優秀だった林に、勉強でお金を稼ぎなさいと言った。彼女を楽にさせたいという思いで小学校高学年のときに医師という職業を志したという。そして希望通り、大阪の星光学院から現役で大阪大学医学部に入学した。

しかし――。

「生物学を中心とした科学の勉強は好きでした。しかし、医学部に入ってみると、自分は人体を扱うことがやりたいんだろうか、そもそも医者になりたいのかどうなのか分からなくなったんです。大学時代は勉強はせず、部活のサッカーばかりやっていました」

大学卒業後、初期研修先として住友病院総合診療科を選んだ。住友病院はその当時ではまだ珍しく、内科を中心に様々な診療科を研修させるという体制をとっていた。医者になるのだから、内科の勉強ぐらいはしておかねばならないという消極的な選択だったと林は笑う。

研修の1つ、内科外来で不調を訴えてくる人たちの話に耳を傾けることになった。

内科外来で複数の疾患の可能性を想定して注意深く詰めていく作業を「鑑別」と言い、その中から一番可能性の高い疾患に絞り込んでいくことを「鑑別診断」と呼ぶ。

「鑑別が難しい患者さんの状況を、検査結果、身体初見から予測することに興味を持ちました」

鑑別では1つの疾患に絞り込まず、柔軟に対応する必要がある。病気の進行が遅く症状がまだ出ていない場合もあるからだ。そのため検査データの精査はもちろんだが、患者さんの観察、対話が大切になる。

患者さんと打ち解けて会話をする姿を見た先輩医師から「林君は内科に向いている」と言われ、内科の道に進むことを漠然と意識しはじめた。