がんの薬物療法が急激な進歩を遂げる中で、医療従事者はどんな姿を追い求めるべきか。近畿大学医学部内科学教室腫瘍内科部門主任教授の林秀敏は、現役で大阪大学医学部に入り卒業すると、研修先での先輩医師の助言から内科になることを決意。がん治療で国内における本格的な「腫瘍内科」を初期に設置した近畿大学病院に進んだきっかけは、当時日本屈指の医師で同大学病院主任教授の中川和彦の「私はまだ真の腫瘍内科医ではない」という言葉だったという――。

※本稿は、近畿大学病院がんセンター広報誌『Umeboshi』Vol.1の一部を再編集したものです。

電子医療技術のコンセプト
写真=iStock.com/jittawit.21
※写真はイメージです

「人のためになること。その究極が医者だった」

今から約11年前のことだ。

2013年3月、近畿大学病院に入職した高濱隆幸は、学会で遠くで見ていた著名な医師が歩いているのに出くわした。そのときこの病院が、がん治療で日本屈指の施設であることを改めて実感し、背筋が伸びた。そして、しばらくして赴任前に抱いていた先入観と違うことに気がついた。

「優秀な先生たちがスマートに研究して成果を出していると思い込んでいたんです。実際の中は、すごくみんなが手を動かして泥臭くやっている。一人ひとりがコツコツやってきた成果が、大きな結果となり、論文等で発表されているんだと思いました」

高濱は1983年に香川県高松市で生まれた。医師を頭に思い浮かべたのは小学生のときだった。

「家族に医者は全然いません。人のためになることをしたいという気持ちがありました。その究極がお医者さんだったんです」

香川大学医学部を卒業後、香川県立中央病院、香川大学医学部附属病院で内科医としての経験を積んだ。がん治療を専門にしようと心に決めたのはこの時期だ。

「若いがんの患者さんを教科書通りに治療しても、助けてあげられないということが何度かありました。がんに関してはやるべきことがたくさんある。自分の人生をかけて、がんに取り組んでいきたい。患者さんと喜怒哀楽を共有して仕事したいと思ったんです」

そして29歳のとき、がん治療を深めるため、近畿大学病院の腫瘍内科の助教となった。