バラエティ番組「笑っていいとも!」(1982~2014年、フジテレビ系)は、なぜ人気の長寿番組になったのか。社会学者の太田省一さんは「プロデューサーとタモリが狙ったのは無難な笑いではなく、知的な笑いだった。これにより、テレビで見ている社会人や学生などから大きな支持を得た」という――。

※本稿は、太田省一『「笑っていいとも!」とその時代』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

第60回ギャラクシー賞/記念賞を受賞したタモリさん
写真=時事通信フォト
第60回ギャラクシー賞贈賞式で放送批評懇談会60周年記念賞を受賞したタレントのタモリさん=2023年5月31日、東京都内のホテル

フジテレビから始まった漫才ブーム

1980年代初頭に突如巻き起こった爆発的な漫才ブームは、単なる演芸ブームというだけでなく、社会のコミュニケーションモードを漫才風に変えてしまうようなある種の革命だったと言える。

「ボケ」「ツッコミ」「キャラ」「フリ」といったような芸人の世界の専門用語が一般人のボキャブラリーになり、笑えるかどうかを基準に私たちはコミュニケーションの良ししを判断するようにさえなった。そしてその中心にあり、影響力をふるったのがテレビ、特にフジテレビだった。

ブームのきっかけとなったのは、「花王名人劇場」(1979年放送開始。制作は関西テレビ)というフジテレビ系列で放送された番組だった。これはさまざまな芸能の名人芸を紹介する演芸番組で、落語もあれば、『裸の大将放浪記』(1980年放送開始)のようなドラマを放送することもあった。漫才もそうした番組コンセプトのなかの一企画として放送された。それが1980年1月20日放送の「激突!漫才新幹線」である。

出演したのは、横山やすし・西川きよし、星セント・ルイス、そして若手代表としてB&Bだった。するとこの企画が15.8%と、他の回に比べ突出した高視聴率をあげる。そこから、「花王名人劇場」だけでなくフジテレビを中心に各テレビ局が漫才特番を組み始め、それらがことごとく人気を呼んだ。漫才ブームの始まりである。

『オレたちひょうきん族』が起こした戦争

B&Bをはじめ、ツービート、島田紳助・松本竜介、ザ・ぼんち、西川のりお・上方よしおなど若手漫才コンビが大挙出演して各自のネタを披露する特番「THE MANZAI」(フジテレビ系、1980年放送開始)は最高視聴率32.6%(1980年12月30日放送回)を記録、ブームを象徴する番組となった。

そして漫才ブームは、一大お笑いブームとして、漫才コンビだけでなく、ピン芸人など他の芸人が人気者になる扉をも開くことになる。

その拠点となったのが、新たなスタイルのバラエティ番組である。1981年にスタートした『オレたちひょうきん族』は、その代表だ。先述の人気漫才コンビのメンバーに加え、落語家でありタレントとしてすでに関西から東京に進出していた明石家さんまが、この『ひょうきん族』をきっかけに一躍全国区の人気者へと躍り出た。

そしてそのさんまとビートたけしが掛け合いを繰り広げる「タケちゃんマン」、当時の人気音楽番組「ザ・ベストテン」(TBSテレビ系、1978年放送開始)のパロディ「ひょうきんベストテン」といったコーナーが評判となり、番組も人気になった。

「はじめに」でふれたように同じ土曜夜8時台の長寿バラエティ番組、ドリフターズの『8時だョ!全員集合』と熾烈な視聴率競争を繰り広げた「土8戦争」は、テレビ全体に活気をもたらした。