圧倒的な結果を出す人には、どんな特徴があるのか。ジャーナリストの田原総一朗さんは「本物の人間は、自分のコンプレックスと戦っている。闇将軍と呼ばれた田中角栄も自分の学歴をずっと気にしていた。だからこそ猛勉強して『生きた六法全書』と呼ばれるまでになった」という――。(第2回)

※本稿は、田原総一朗『無器用を武器にしよう 自分を裏切らない生き方の流儀』(青春新書インテリジェンス)の一部を再編集したものです。

七日会青年部研修会で講演する田中角栄元首相(1984年9月10日、静岡・函南町の富士箱根ランド)
写真=時事通信フォト
七日会青年部研修会で講演する田中角栄元首相(1984年9月10日、静岡・函南町の富士箱根ランド)

「中央工学校卒」にこだわった田中角栄

僕は田中角栄にインタビューしたことがある。ロッキード事件で逮捕されてから初めてマスコミに登場したときで、彼は、闇将軍と恐れられていた。その彼の話を聞いていて、すさまじいコンプレックスの塊だと、僕は思った。

彼は小学校卒業で総理大臣になって、豊臣秀吉の再来、今太閤といわれた男。ところが、「僕は小学校卒業じゃないよ。僕は中央工学校を卒業したんだ」と、こだわる。僕から見れば、中央工学校卒というより小学校卒のほうがはるかに彼にとって勲章だと思うけど、断固として中央工学校卒業を主張して譲らない。さらに、新潟県の西山という、片田舎に生まれて、家はあまり豊かではなかった、と説明すると、彼は断固訂正を求めた。

「西山は、君ね、片田舎じゃないよ。関越自動車道のインターチェンジがあるんだからね」と。自動車道もインターチェンジも、自分で造ったものなんだけどね。

そして、「貧乏だったと伝えられているけど、これは違うんだ。自分の家は決して貧乏じゃないんだよ」と、一所懸命に話すから、かえって総理大臣をやった自民党の当時の最高実力者の、非常にこだわった話しぶりがじつに印象に残った。

さらに驚いたのは、彼は子供の頃、吃音きつおんぎみで口ベタだったと言う。田中角栄といえば雄弁家で、じつに説得力があり、しかも、コンピューター付きブルドーザーと呼ばれていた。アイデアは豊富で、行動力があって、子供の頃とはいえ話すのが苦手な人間だったとはとても思えないでしょう。それじゃ、いつ、どうやって問題を克服したのか?