2024年は元日から能登半島を大地震が襲った。大災害に時の政権はどう応じるべきなのか。2011年の東日本大震災時の首相で、今期限りでの政界引退を表明している衆院議員・菅直人氏に、ジャーナリストの尾中香尚里さんが聞いた――。
東日本大震災・現地対策本部で菅首相があいさつ
写真=時事通信フォト
2011年4月21日、福島県庁に設置された国の原子力災害現地対策本部を訪れ、あいさつする菅直人首相(福島県庁)[代表撮影]

東日本に人が住めなくなるかもしれない「最悪の事態」だった

――東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から13年がたちます。当時の菅直人内閣の危機対応は強い批判を受けましたが、当時の対応をどう振り返られますか。

福島原発事故は、対応を誤れば東日本に人が住めなくなるという事態でした。自衛隊をはじめいろいろな人が頑張ってくれましたが、東日本に人が住めなくなる「最悪の事態」まで被害が拡大しなかったことは、言葉は難しいですが、ある種の達成感はあります。

――一方で、原発事故により福島県などからの避難を余儀なくされ、今も故郷に帰れない方々も大勢いらっしゃいます。

それが原発事故の怖さなんですね。(避難指示は)仕方がなかったとはいえ、多くの方が元の生活に戻れずにいることについては、大変申し訳ないと思います。

「自衛隊10万人動員」を早々に決断

――震災が発生した時、首相として何を最優先に考えて行動しましたか。

二つの要素がありました。地震と津波という自然災害と、それに伴い発生した福島原発事故。二つの非常に危機的な状況に、同時並行で対応することを迫られました。

この二つにどう対応するか。まず、地震と津波の自然災害については、北澤俊美防衛相(当時、以後同様)が中心となり、自衛隊を早々に10万人派遣するという最大限の体制をとりました。力のあるベテランの北澤さんが防衛相だったことで、防衛省の動きが早かった。10万人もの自衛隊員を動員できたのは、北澤さんの力です。