唯一、買い手がつかなかったU-NEXTを引き取り再出発

そんな苦しい時期に、マラソンを始めたんです。ハードな状況を乗り越えるためにも体力をつけようと思ったからなのですが、皇居の周りをぐるぐる走っていると、大手町側に銀行が見えてきて。自然と、「絶対、借りた金は返す」と思いました。当時いろんな苦しみがありましたが、大阪の商売人の家に生まれた根っからの商売人としてそこだけは守ろうと、体を動かすことでシンプルなマインドセットができたように思います。

マラソンに加えて救いになったのは、当時の副社長がポロッと言った、「とはいえ、10年したら世の中の流れは変わりますよ」という言葉です。私への慰めみたいなものだったのでしょうけど、たしかにそうだよな、と思えて楽になりましたね。

その後、唯一、買い手がつかなかったU-NEXTを引き取り、2010年にUSENから独立してベンチャー企業として再出発しました。まだ銀行の目が厳しかったこともありますし、私自身、リーマンショックの時と同じような苦しみを抱えたくなかったため、新しい人を受け入れたり、新規事業を立ち上げるようなことは自然と避けていました。10年ロスをしたと言いましたが、そのうちの半分は、このような痛みの治療に費やした時間です。その時間の中で、一度は手放したUSENも取り戻すことができました。

当時のUSENの事業で、唯一買い手がつかなかったのがU-NEXT事業だった
撮影=今村拓馬
当時のUSENの事業の中で、唯一買い手がつかなかったのがU-NEXTの事業だった

「また地獄を見たいのか」と言われても続けたU-NEXT

U-NEXTは、「ネットで映画を観るヤツなんているわけない」と散々バカにされ、誰からも手が挙がらなかったビジネスなわけですが、私はそこにこそ、確信がありました。昔から映画が好きで、大学時代は1日1、2本映画を観る生活を送っていたものの、レンタルビデオ屋へ借りに行ってもお目当ての作品が貸出中だったり、かと思えば返し忘れて延滞料をとられたり。そもそも、往復30分かけて借りたり返したりをするのが面倒だなあと思っていた頃、海外で電子データによる映画の配信実験が行われた、というニュースを目にしたんです。今後、コンテンツ視聴は配信に置き換わるだろうし、その利便性ゆえに逆行することもないだろうと、その頃から確信していました。

「300人もの社員を引き連れたベンチャーなんてありえない」「また地獄を見たいのか」と散々言われましたが、電柱問題の時と同じく、辛いだけではなくて、やっぱりそこに夢があるから続けてこられたのかなと思います。アメリカでは、サブスクでの動画配信サービス利用者は平均3契約ですが、日本はまだ2契約にも満たない。よく、「NetflixやAmazonプライムビデオは脅威では?」と聞かれますが、まだまだサブスク全体が広がると思っているので、U-NEXTは他の配信サービスと共存していけるはずです。