聡明さと語彙力にはどのような関係性があるのか。コンサルタントの山口周さんは「われわれは自分の言語の枠組みでしか物事を把握することができない。世界を精密に知るためには、多様な語彙を身に付ける必要がある」という――。

※本稿は、山口周『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

フェルディナンド・ソシュール(1857~1913)
スイスの言語学者、言語哲学者。「近代言語学の父」と言われる。
フェルディナン・ド・ソシュール(写真=Frank-Henri Jullien/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)
フェルディナン・ド・ソシュール(写真=Frank-Henri Jullien/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

「モノ」に後追いで「コトバ」が付けられているわけではない

「モノ」があって「コトバ」がある。私たちは通常、「モノ」という実在があって、それに対して「コトバ」が後追いで付けられたように感じています。旧約聖書を見てみるとわかりやすい。創世記2・19には次のような記述があります。

主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。

しかし、本当にそうなのであれば、モノの体系と言語の体系が文化圏によって異なることが説明できません。ソシュールは次のように指摘します。

フランス語の『羊』(mouton)は英語の『羊』(sheep)と語義はだいたい同じである。しかしこの語の持っている意味の幅は違う。理由の一つは、調理して食卓に供された羊肉のことを英語では『羊肉』(mutton)と言ってsheepとは言わないからである。sheepとmoutonは意味の幅が違う。(略)もし語というものがあらかじめ与えられた概念を表象するものであるならば、ある国語に存在する単語は、別の国語のうちに、それとまったく意味を同じくする対応物を見出すはずである。しかし現実はそうではない。

内田樹『寝ながら学べる構造主義

なぜフランス語は「蝶」も「蛾」も「Papillon」で表すのか

日本人には馴染みの薄い「羊」が例に挙げられているので少しわかりにくいかも知れませんが、ここで重要なのは「意味の幅が違う」という指摘です。つまり、ある言葉が概念として指し示す範囲が、文化圏によって違うということを言っているわけです。

例えば私たちにとって「蛾」と「蝶」という言葉には馴染みがあります。これら二つの言葉は、「蛾」と「蝶」という2種類の虫がもともとあって名付けられたと考えがちですが、ソシュールによればそれは間違いだということになります。なぜならフランス語には「蛾」という言葉も「蝶」という言葉もなく、それらを包含する「Papillon(パピヨン)」という言葉しかないからです。