F1を稼げるスポーツにした男

F1レース自体は1920年代のヨーロッパGrand Prixモーターレーシングに端を発する。1950~60年代は「毎年1人は死ぬ」ような危険すぎるスポーツで、レーサーの安全基準の配慮や各チームの権利といった話が出てくるのは1970年代になってからの話。

現在われわれが想定するように、F1がビジネスになっていった分岐点は、FOCA(F1製造者協会)出身のバーニー・エクレストンという人物の登場からだ。彼はF1界の正力松太郎や渡邉恒雄のような存在だ。権力の集中度としては彼らを凌駕りょうがするかもしれない。

当時、F1には、FISA(国際自動車スポーツ連盟)とFOCA(F1製造者協会)という二つの団体があり、ライバル関係にあった。

FISAはフェラーリ、ルノー、アルファロメオなど大陸系チームが支持する“貴族的”雰囲気があり、そこに対抗軸としてブラバム、マクラーレン、ティレルなどの英系チームがFOCAで抵抗していた。

1981年、FOCA(F1製造者協会)に所属していたエクレストンは、FISA(国際自動車スポーツ連盟)と運営を巡って激しく対立。レースのボイコットなど大混乱の末、1982年、コンコルド協定によってFOCAがF1の興行を取り仕切るようになる。日本でいえばセリーグ・パリーグの大合併のような事件だ。

エクレストンはレーサーであり、チームオーナーであり、かつ興行主であったが、その権力の極致となった瞬間は1997年に、F1の憲法ともいえる「新コンコルド協定」が締結された時だろう。

資金力のないチームはすぐに消える

悪名高きその憲法の例として収益の分配法が挙げられる。辣腕らつわんのビジネスマン、エクレストンは放映権の約50%をチームへの分配金、約30%をFIA(FISAの上位組織)の取り分とし、約20%を自分のものとした。

ちなみに、当時テレビ放映権は、BBCが支払っており、その額は年間700万ポンド(約14億円)だった。エクレストンは、1953年からずっと放映してきたBBCを突如、なんの通達もなく切り捨て、iTVと交渉。7000万ポンド(約140億円)の放映権料で契約したのだ。

FOCAのトップとはいえ、一個人が放映権の約20%をとるといったディールは他スポーツで聞いたことがない。

そんな彼の年収はこの1990年代に約5000ポンド(約100億円)と言われ、「イギリス最高の給料取り」となった(2001年事例:ティモシー・コリングス著『ピラニア・クラブ』)。この法の下ではチームの分配比率も平等ではない(公開もされていない!)。さらに、新コンコルド協定への賛同をしたチームと、賛同していないチームでは、明らかな差別があった。

米国MLBや欧州サッカーリーグのように「分配金によって弱いチームを引き上げて競争を面白くする」なんてものではない。F1は、強いものはより強く、弱いものはより弱くなる。この差別的で貴族主義なスポーツはそれがゆえに「ピラニア・クラブ」と悪名も込めて呼ばれている。