究極のレースにかかるお金

F1の魅力はなんといっても速度。平均時速230キロ、最高速度が時速400キロは陸上速度における世界記録であり、人類のほとんどが体感することのない世界だ。

だがその見返りとして身体への負担は過酷そのもの。フルブレーキを踏むと300キロ級の負荷がかかり、失神することも珍しくない。旋回・加速する度に強烈なGがかかり、全身に血がめぐらなくなり視界が真っ暗になることもある。

コクピット内の気温は50~60度。心拍数は毎分180回となり、陸上800メートル走を続けているような動悸どうきの中で争う。

ハンドル回りはまるで飛行機の操縦桿で、何十パターンもあるボタンの組み合わせをコンマ何秒のタイミングで判断し続けないといけない。

約2時間のレース中、わずかな集中力のブレも許されない。下手すると死ぬ、という競技は他のスポーツにはない恐ろしさだろう。

「究極のスポーツ」という表現がなんともぴったりなF1だが、その究極性はレースの外側にこそ広がっている。

レースに出場する2台を支えるチーム組織は、300~1000名という一大会社組織だ。レース当日にピットに見える数十人はあくまで氷山の一角なのだ。

組織を率いる「チーム代表」は、「チームオーナー」の意向にも配慮しながら組織をまとめる。マシン開発を担う「テクニカルディレクター」がおり、レース中の分析を行う「ストラテジスト」もいる。

それらがひとつのチームとなって、世界中をサーキットサーカスしながら、2人のドライバーに付きっ切りになって逐次指令を出し、勝ち抜いていく。

ヘルメット
写真=iStock.com/ZRyzner
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トップレーサーの年俸は70億円

1チーム予算は年間50億~200億円。70名を抱える日本プロ野球チームや下部組織やスクールまで抱える欧州サッカーのトップクラブとほとんど変わらない予算が、たった2名の勝利のためにかけられている。

各チームが鎬を削るがゆえに、F1カーの開発費はずっとうなぎ上りだった。

2020年までに、1台4億ドル(約550億円)にまではねあがった。開発費の過当競争をみて、ルール制限が設けられ、近年は1.5億ドル(約206億円)の製造・開発費に引き下げられた。それでも、この段階でももはやハリウッドの超大作映画1本分である。

そもそも消耗品であるタイヤ自体が1セットで数十万円という単位である。それを1レースに何度も履き替え、事故でも起こした日には修理で数千万~数億円が吹き飛ぶ。1人のレーサーが育つまでに、一体いくらのお金が溶かされてきたのかを想像すると眩暈すら覚える。

もちろん、レーサーへの給与もスポーツ界で最高水準だ。2年連続でF1ワールドチャンピオンを獲得したマックス・フェルスタッペン(レッドブル)の昨年の推定年俸は、5500万ドル(約70億円)、昨年ランキング2位だったシャルル・ルクレール(フェラーリ)は、3600万ドル(約46億円)、F1での最多勝利数記録を持つルイス・ハミルトンは3500万ドル(約45億円)となっている。

レーサーのアスリートとしての実力は最低条件にすぎない。車体を開発し運営する技術力、そこにチームとしての組織力があり、スポンサー・協賛を味方につける資金調達力、協会交渉から選手引き抜きまで含めた政治力……。

1つのグランプリ優勝の背景にこれだけ多くのヒト・モノ・カネが結集しているスポーツは他にないだろう。だからこそ1人のレーサーにかかる重圧は並々のものではない。まさにヒト・モノ・カネが一点にのみ集中する「究極のスポーツ」なのだ。