哲学の入門書にひどくつまらないものが多いのはなぜなのか。コンサルタントの山口周さんは「古代ギリシアの哲学者が出した解答は自然科学でほぼ否定されており、『知的興味』を喚起しにくい。哲学者の結論ではなく、結論に至るプロセスにこそ学ぶものがある」という――。(第1回/全7回)

※本稿は、山口周『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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写真=iStock.com/araelf
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哲学者の論考を二軸で整理する

それなりに哲学に興味は持っているものの、これまでに挫折してきた経験をお持ちの方は多いと思います。まずはこの問題、つまり「なぜ哲学に挫折するのか?」、もっとはっきり言えば「なぜ哲学はツマラナイのか?」という問題について、明確にその理由を示します。というのも、この点を構造的にクリアにしておかないと、結局はまた同じ挫折を繰り返すことになると思うからです。

まず、歴史上の全ての哲学者の論考を、次の二つの軸に沿って整理します。

1.問いの種類 「What」と「How」
2.学びの種類 「プロセス」と「アウトプット」

まずは最初の軸である「問いの種類」について考えてみましょう。

哲学は古代ギリシアの時代に始まり、以来様々な哲学者が様々な思考を展開したわけですが、それら全ての歴史上の哲学は、次の二つの問いに対してなんとか答えを出そうとした取り組みとして整理できます。

1.世界はどのように成り立っているのか?=Whatの問い
2.私たちはどのように生きるべきなのか?=Howの問い

例えば「モノは何から成り立っているのか」という問題に取り組んだ古代ギリシアのデモクリトスは、典型的に「Whatの問い」に取り組んだ哲学者ということになりますし、キリスト教道徳の超克を念頭において「近代人はどのように生きるべきか」という問題に向き合い、「超人」という概念を提唱したニーチェは、典型的に「Howの問い」に取り組んだ人として整理することができます。

多くの人が哲学に挫折する理由

さて、ここからは「なぜ哲学に挫折するのか?」という問題について考えてみましょう。先述した通り、哲学者が取り組んできた「問いの種類」には、「Whatの問い」と「Howの問い」の二つがあるわけですが、過去の哲学者が「Whatの問い」に対して出した答えの多くは、現代の私たちからすると、「間違っている」か「正しいけど陳腐」なものが多いのです。