最後は身体とマウンドの硬さに苦しめられた

大輔たち横浜高校が春夏連覇を果たす11年前に、PL学園で春夏連覇を成し遂げた片岡は、テレビで横浜対PLを観戦していたらしい。金村が大輔に、「片岡がお前のこと変化球投手って言ってたぞ。あいつにだけは真っ直ぐを思い切りいっとけ」と伝えたところ、大輔はニヤリと笑ったのだそうだ。

初回、3番の片岡に投げ込んだ155キロのストレートは、フルスイングした片岡が尻もちをついたこととあわせて語り草となっている。片岡の出したバットのはるか上を通過した白球を見て、私はマウンドに仁王立ちする18歳の少年が、すでに球界を代表する投手であることを確信した。

大輔は8回を5安打2失点、9奪三振。大輔のあとは橋本、デニー、西崎と繫いで5対2で逃げ切り、チーム全体で彼に初勝利を贈ることができた。本人以上にリリーフ陣の緊張は相当なものだったようだ。この年、イチローとの初対決で3打席連続三振に切って「自信が確信に変わりました」と答えてみせたことも語り草になっている。

東尾修『負ける力』(インターナショナル新書)
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大輔は16勝を挙げ最多勝と新人王を獲得、西口が14勝、石井と豊田も2桁勝利を挙げ、前年の横浜との日本シリーズでは抑えとして好投した西崎をリリーフに回し20セーブと、投手陣は強力な布陣となった。ただ、チーム内の最多ホームランが、松井稼頭央と垣内哲也の15本であったことに象徴されるように、打線が不調でチームは2位に終わった。優勝はダイエーホークスで、日本シリーズでも中日相手に4勝1敗の成績で日本一となっている。

大輔はこの年から3年連続最多勝と、またたく間に球界を代表するピッチャーとなり、2000年シドニー五輪や2004年アテネ五輪でも日本のエースとして活躍した。メジャーでも活躍したことは言うまでもないが、身体の硬さとマウンドの硬さに苦しめられ、片岡を斬って取ったあの姿が戻ってくることはなかった。

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