野球に学歴は必要なのか

久万オーナーのもうひとつの「罪」は、暗黒時代における監督人事である。久万オーナーの時代は吉田さん、村山さん、中村、藤田と4人の生え抜きを監督に据えたが、吉田さんが監督を務めた「奇跡の1985年」と中村監督時代に健闘した1992年以外は失敗に終わったと見ていい。

こうなってしまった最大の理由は、「監督はファンにウケる人材であればいい」と安易に考えていたことだ。実際、久万オーナーは監督については、かつて「早稲田出身の中村と慶應義塾出身の安藤、名門を出た二人を交互に使っていればいい」と雑誌のインタビューに答えていた。

久万オーナーは東京帝国大学、現在の東大出身である。そのうえ、阪神電鉄の上層部は京大、神戸大出身者で固められている。エリート意識の強い久万オーナーならではの発言であり、「学歴がある者が監督を務めれば、それなりの成果を出すはずだ」と一方的に決めつけて監督に据えた理由も一方ではあったはずだ。

それだけに、高卒の藤田が監督になったのは意外といえば意外だった。当時は中村が辞任して二軍監督だった藤田にお鉢が回ってきたわけだが、藤田は阪神の暗黒時代において唯一の赤字を計上してしまった。そのうえ、順位は最下位ときたら、もはや退くしか方法はない。

勝っても勝てなくても客が入る

藤田は生え抜きで2000安打を打った数少ないスター選手のひとりだった。それが監督で失敗し、退任後は指導者として阪神のユニホームを着る機会が一度もなかった事実から判断すると、じつに寂しい終わり方をしたものだと、つくづく考えさせられてしまった。

江本孟紀『阪神タイガースぶっちゃけ話 岡田阪神激闘篇』(清談社Publico)
江本孟紀『阪神タイガースぶっちゃけ話 岡田阪神激闘篇』(清談社Publico)

そのうえ、藤田のあとに立命館大出身の吉田さんを再々登板させたのは、いかにも安易すぎた。焼け野原と化したチーム内を再建できるのがこの人ではないことぐらい、少し考えればわかるはずなのに、久万オーナーはあえて吉田さんを指名。結果は2年間で5位、6位に終わった。

そこで、なぜ吉田さんに監督要請の声がかかったのかを考察してみる。私なりに考えた結論は、「吉田さんで、いい思いをさせてもらったから」だと見ている。第3章でも書いたが、吉田さんの時代は観客動員数が200万人超えは当たり前。勝っても勝てなくてもその現象は続いた。その事実を久万オーナーは目の当たりにしていたからこそ、「どんなに弱くても、お客さんが呼べる監督は吉田さんしかいない」と判断して、その名声にすがったのだと考えている。

とはいえ、吉田さんも村山さん(関西大出身)同様に、「過去の名声は当てにならない」ということを実証しただけに終わってしまったのは、なんとも皮肉な話ではあるが、この点は久万オーナーが残した汚点のひとつといえる。

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