コロナ前はインドアな学生も「ガクチカ」のために活動をした

他方で「無気力」タイプの人はそうではなかったらしい。前者の若者たちとは異なり、本当に一切活動する意欲がないように見えてしまうのだという。いわゆる「学生時代に力を入れたこと(若者たちの通称では“ガクチカ”と呼ばれる)」についても、社会の号令にすんなりしたがって家にずっといたせいで、本当にまったく何もしていなかった人も少なくなかったようで、前者との経験値やバイタリティの差がさらにはっきりと顕在化するようになってしまったのだ。

活動的な若者はさらに活動的に、無気力な若者はさらに無気力に――どうしてこんな二極化が起こってしまったのか。

それはこの3年間における「ただしさ」が反転してしまったことが影響しているだろう。この3年間は先述したとおり「新しい生活様式を守ろう」「不要不急の外出は控えよう」「密を避けよう」「集まるよりリモートで」といった号令によって、もともと「インドア派」だった人びとにあまりに都合のよい“社会通念”が再構築された期間でもあった。2020年よりも前であれば、インドア派の若者たちだって就職では「ガクチカ」が重視されていることは分かっているからこそ、渋々ながらなんらかのアクティビティに参加していたものだ。

だがコロナ禍においては、インドアで個人完結的で非社交的なライフスタイルを送ることこそが「正義」という価値観に変わってしまい、かれらは自らアクティブに動くことを率先して放棄してしまったのではないか。

勉強する代わりに携帯電話で自撮りをする大学生のグループ
写真=iStock.com/AzmanL
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「壮大なドッキリ」にかかったインドアな若者たち

2020年以前には「陽キャ」的な、つまりアウトドアで集団的アクティビティをしていた人びとが向社会的で「正道」の側だったのに、コロナの3年間ではその立場がまったく反転した。インドアで閉鎖的で個人的な、いわゆる「陰キャ」的なライフスタイルを送っている人の側にこそ「ただしさ」のヘゲモニーが移ったことは事実だろう。

2020年からの3年間は、外に出るのも、他人とつるむのも、身体を動かすのも、旅行するのもあまり好きでなかったような人たちにとって、「そうすることが正解ですよ」「そうするのが社会のためになっていますよ」「それこそが正義ですよ」と、自分たちがこれまで世の中から良いようには見られていなかったはずのライフスタイルが、とつぜん応援されたり肯定されたりするようになった。文字どおりボーナスタイムだった。

「『ガクチカ』なんか、別になくていいって。世の中が家でじっとしてろっていうんだから」――と、社会からまさしく“お墨付き”をもらったからこそ、安心して堂々と「無気力」ライフを過ごしていた人も少なくなかったはずだ。責めているわけではない。とりわけ2020~2022年には本当にそういう雰囲気が世の中にあったことは私もはっきり記憶している。外に出て活動する若者は「コロナをまき散らす不届き者」として糾弾されるような雰囲気が間違いなくあったからだ。

……しかしながら、本当に残念なことだが結果論的に見ればこれは“罠”というか“壮大なドッキリ”という形になってしまったのだろう。