結局はどう生きても人間は死ぬもの

それをちゃんとわかっていないと遊びは人間を疎外から解放するどころか、より深刻な疎外に陥らせてしまいます。ギャンブルがそうです。ギャンブルは、本物のお金がかかることで、遊びでなくなってしまいます。

中田考『どうせ死ぬ この世は遊び 人は皆 1日1講義1ヶ月で心が軽くなる考えかた』(実業之日本社)
中田考『どうせ死ぬ この世は遊び 人は皆 1日1講義1ヶ月で心が軽くなる考えかた』(実業之日本社)

純粋な自己目的の悦びを学ぶための遊びが、お金を得るという目的の手段になってしまうのです。しかも楽をして大金を掴もうとの射幸性しゃこうせいまで加わるので、資本主義によってお金の奴隷になっていた人間がますます大金に目が眩んだ銭の亡者になってしまうのです。

でも本当に大切なのは、この世の人生自体が遊びであることを知ることです。コロナ禍で、私たちは、それまで大切だと思っていた学校も仕事も、本当は行かなくても誰も困らないものだったことを知りました。

そしてそれよりも大切なことは、結局はどう生きても人間は死ぬものであり、誰が死んでも、それで人類が滅びるわけでもなく、必要な人間など誰もいないことに気付かされたことです。

そうです。遊びが本当はどうでもいいことだったからこそ、気楽に楽しめたように、この人生も本当はどうでもいいこと、死ぬまでの暇つぶしであることに気付けば、気楽に楽しめるはずです。でも遊びは真剣に遊ばなければ楽しめません。

「それを言っちゃあお終いよ」

この世の生は、束の間、仮初のものであっても、「それを言っちゃあお終いよ」です。遊びにはいろいろあり、好みも人それぞれです。誰もが自分が楽しいと思う遊びを遊べばよいのです。

人に押し付けられた遊びなど遊びではありませんから。この世の遊びなど、上手くできなくても、所詮死ぬだけ、勝っても負けても最後は皆が平等に死んで終わりです。気楽に楽しめばよいのです。

コーランにも以下のように言われています。

「今生はただの遊び、戯れ。来世こそが本当の生。もしも彼らが知っているとしたら」(コーラン29章64節)

それでもし、遊びでしかないこの世の人生の彼方に、本当にそのために生きる価値があるものを見つけることができれば、それに越したことはありません。

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