子供向けのスポーツで「勝利至上主義」を見直す動きが広がっている。神戸親和大学教授の平尾剛さんは「競争主義が過熱すると、選手自身の成長の可能性を狭めてしまう。スポーツの目的は勝つことだけではない」という――。(取材・構成=フリーライター・山川徹)(第3回/全3回)
元ラグビー日本代表で神戸親和大学教授の平尾剛さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
元ラグビー日本代表で神戸親和大学教授の平尾剛さん

勝利至上主義はスポーツの可能性を置き去りにする

――平尾さんはスポーツの行き過ぎた勝利至上主義に警鐘を鳴らしていますね。一方でスポーツには勝敗がつきものという考え方もあります。

勝利至上主義が行き過ぎるのではなく、過剰な競争主義の結果、勝利至上主義に陥ってしまうという点が問題だと考えています。

そもそも勝利至上主義とは、スポーツに取り組む価値のなかで、勝利がもっとも優先される考え方です。でも、スポーツに取り組んで得られることは無数にありますよね。礼儀や社会性が身につく、体力がつく、メンタルが鍛えられる、友だちができる――。

そうした価値よりも、勝利を第一に考えてしまうと、本来スポーツを通して得られる有形無形のさまざまなものが置き去りにされてしまいます。その問題についてたくさんの人に知ってもらいたいと思っているのです。

「勝ったら偉い、負けたら劣っている」のか

――「競争主義の行き過ぎ」についてもう少し詳しく教えてください。

スポーツの競争主義とは、競争を通して選手の成長を促す考え方や指導法です。試合をせずに1年中練習だけだと選手はつまらないし、やる気も起きません。そこで、練習で培った実力を試すために試合をしたり、大会に出場したりする。当然、勝った、負けたという結果が出る。

試合や大会には、競技レベルが上がっていることを確認したり、対戦相手とともに実力を高め合ったりする目的があります。それが競争主義を取り入れる意義です。

しかし競争主義が行き過ぎると選手も指導者も、勝った方が偉い、負けた方が劣っていると受け止めてしまう。競争主義がさらに進めば、勝つためには手段を選ばなくなる。レフェリーが見ていないところで反則をしたり、相手の裏をかこうとしたりするようになる。そんな試合をしたら、互いに遺恨が残る。互いを高めようとしていたはずの試合なのに、目的が変わってしまう。