商業主義的なオリンピックを変える

――日本でいうと状況はなかなか変わりません。いまトップにいる人たちのマインドが変わることはあるのでしょうか。

自分が手がけているいろいろな仕事が私に幸せをもたらしてくれるのですが、その1つが(来年の)パリ五輪です。スポーツには大きな社会的影響力があるというのが私の持論です。でもその社会的なパワーはまるで活用されてきませんでした。

スポーツと人との間には非常に強い感情的なつながりがあります。もし自分の(応援している)チームが勝てば飛び上がって喜んで、眠れなくなるほど興奮します。負ければ誰とも口を利きたくなくなり、くやしくて泣いたりします。強力ではありますが、このパワーは商業目的、つまり物をたくさん売るためにしか使われていません。

偉大なヒーロー的存在の選手が特定の腕時計を身に着けていれば、みんながそれを欲しいと思いますよね。つまりこれはスポーツの持つパワーの商業利用もしくは娯楽のための利用です。人々を楽しませはするけれど、社会的パワーとしては全く活用されていません。

そうした問題提起を繰り返していたところ、国際オリンピック委員会(IOC)に呼ばれて話をする機会を得ました。2016年のリオデジャネイロ五輪の時で、そこにはパリのアンヌ・イダルゴ市長率いるフランス代表団もいました。イダルゴ市長は非常に感銘を受けてくれて、すぐに私をディナーに招いてくれました。意見交換をする中でイダルゴ市長から「五輪をソーシャル・ビジネスに変えることはできるでしょうか?」と問われ、私はもちろん可能だと答えました。

次に私はパリに招かれ、そこでも質疑応答が行われ、2024年のパリ五輪の招致はこの路線で進めることになりました。フランスのマクロン大統領とイダルゴ市長と一緒に私もローザンヌにあるIOCの臨時総会に出席し、パリが開催地に選ばれるよう、フランスで開催すべき理由をプレゼンしました。ライバルはロサンゼルスでしたが、24年の大会の開催地に選ばれたのはパリでした。

パリ市庁舎のオリンピックマーク
写真=iStock.com/Martina Rigoli
パリ市庁舎に飾られたオリンピックリング

貧困層の住宅となる選手村建設

私たちはどうすればパリ五輪を「人々を助けるための大会」へと作りかえることができるか話し合いました。単に金を投じるのではだめなのです。パリ五輪の予算は70億ユーロです。ではどのように設計すればいいのか。

私が提案したのは単純なことでした。どの大会でも選手村を作らなければなりません。選手たちが一堂に会して2~3週間、滞在する大きな建物ですが、閉幕後は街のどこかに建つ無用の長物になってしまいます。誰にも必要とされず壊されるか、安値で提供されるかどちらかです。でもそれでは金の無駄です。

そこで家のない人々のために、家賃が払えなくて困っている人々のために、寮の費用が払えない貧しい若者たちのための「村」として転用できるような選手村を設計してみてはどうですか、と提案しました。五輪に出場する選手たちは、この村に一時的に滞在する「ゲスト」です。村には市場ができ、貧しい家庭の子供たちの学校もできるでしょう。貧しい家庭も学生も、慎ましい住居を手にすることができます。そうすれば施設は機能し続け、投じたお金も生きます。この(不要になった施設をどうするかの)問題は五輪のどの大会でも問題になっていました。

選手村が作られるのは競技会場もあるパリ郊外のサンドニ地区のあたりです。サンドニはパリとその近郊で最も貧しい地区と言われています。私が(構想段階で関係者に)お話ししたのは、五輪のおかげで、サンドニは新しいパリになるだろう、ということです。住んでいる人々の生活が変われば、多くの人がこの新しいパリを訪れるでしょう。

チャレンジではあるけれど、資金はあるのだからできない相談ではありません。