令和の世にいまだ強く残る「結婚」のプレッシャー。日独の文化比較をしているサンドラ・へフェリンさんは「日本で暮らしていると、ドイツや他の欧米諸国より『結婚はするべき』というプレッシャーが強い。『結婚できないのでは』という悩みを抱えている女性も多いが、そもそも結婚とは能力なのだろうか」という――。

※本稿は、サンドラ・へフェリン『ドイツの女性はヒールを履かない』(自由国民社)の一部を再編集したものです。

日本の「結婚できる」「結婚できない」の違和感

今独身の人の中には、結婚生活を夢見ている人、どうしても結婚したいというわけではないものの、経験として一度は結婚してみたい人、結婚する気はゼロの人、とりあえず流れに任せている人……など様々です。

既婚者に関しても、結婚して良かった、この人と結婚して良かった、と考える人、こんなに大変ならば独身のほうが良かった、または、違う人と結婚していればなあ、と考える人、本当に様々……。

ドイツと違うところと言えば、日本のほうが結婚というものについて、なんとなく「しなくてはならない」という雰囲気が社会にあることでしょうか。

時代は令和ですから、ふた昔前の昭和の時代のように、上司が出てきて、自分の部下に「この子(女の子)どうだい?」なんて言うことはなくなってきています。お見合いも少なくなりました。娘のいる親でも「結婚は娘の好きなように」と子供に任せている人が多いです。でもそうはいっても、心のどこかに「娘が好きな人と出会って幸せになってくれればいいな」つまりは結婚してくれればいいな、という望みを抱いている親が多いのもまた確かです。

日本では「幸せになる」という言葉がイコール「結婚をする」という文脈で使われることが多いです。だから「幸せになりたい!」と前向きに考える女子であればあるほど婚活をし、結婚というものに使うエネルギーが大きいです。

新郎新婦
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そもそも「結婚」って「能力」ですか?

そんな中で気になること。それは「結婚できる」という言い回しです。

当事者が「このままで……私、結婚できるのでしょうか?」という言い方をすることもあれば、インターネットの悩み相談の掲示板に「性格の悪い誰々さんという女性が結婚できたのに、なぜ私は結婚できないのでしょうか。」と書かれていたり。この「結婚できる」「結婚できない」というフレーズはよく目にするのです。インターネットはもちろん、ふだんの女子同士の会話でもよく「結婚できる」またはその逆の「結婚できない」という言い回しを耳にします。

でも「結婚しない」という言い方はまだしも「結婚できない」という言い方は、ニュアンスとしてちょっと気になります。

「何々ができる」とか「何々ができない」という言い方は、何か能力に長けていたり、能力が欠如したりしている際に使われがちな言葉だけに、なんだか引っかかるのです。数学ができる、数学ができない、英語ができる、英語ができない、逆上がりができる、逆上がりができない……というような「能力」をジャッジするときに使われる言葉だからです。