織田信長とはどんな武将だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「傍若無人なイメージがあるが、史実をみると決してそんなことはない。一度仲間になった相手は徹底的に信用していた。ドラマで描かれたような、自分しか信じない人物ではない」という――。

歴史への誤解を広めている「どうする家康」

主役である以上、徳川家康がそれなりに美化されるのは仕方ない。織田信長が家康の引き立て役として描かれ、ダークサイドが強調されても、ある程度は許容されると思う。これら歴史上の巨人が、これまでと違う描き方をされること自体が、安易に否定されるべきではない。

とはいえ、脚本家が思い描く家康像や信長像をドラマで鮮明にし、見せ場を作るまではいいが、あきらかに史実と認定されていることや、すでに学問上の定説になっていることまで無視するとなると、話は別である。NHK大河ドラマは、歴史ドラマとして楽しんでいる視聴者が多い以上、史実や定説をある程度ふまえてドラマを制作しないと、歴史への誤解が広がってしまう。

あらためてそう感じたのは、大河ドラマ「どうする家康」で描かれた家康(松本潤)像と信長(岡田准一)像についてだった。

第27話「安土城の決闘」では、信長の居城である安土城(滋賀県近江八幡市)でもてなしを受けたのちの家康が、夜にひとりで城内の信長の居所を訪ね、信長と口論になる場面が描かれた。

「自分しか信じない」という信長は本当か

日中に信長が家康をもてなした際、饗応役の明智光秀(酒向芳)が出した淀の鯉の臭いを家康が気にしたのを機に、信長が光秀を怒鳴りつけ、何度も殴る様子が描かれた。それについて家康が「明智殿のご処分はほどほどに」と進言すると、信長は「しくじりは許さぬ。使えない者は切り捨てる」と言い切った。

織田信長像[神戸市立博物館蔵・重要文化財]
織田信長像[神戸市立博物館蔵・重要文化財](写真=ブレイズマン/PD-Japan/Wikimedia Commons

このとき信長が、光秀を「使えない者」と認定していたとは到底考えられないのだが、それについては、あとで詳述する。

信長が「甘く見られれば足元をすくわれる」と言うと、家康はかつて老臣の鳥居忠吉(イッセー尾形)に言われた以下の言葉を信長に伝える。「信じなければ信じてもらえん。それで裏切られるなら、それだけの器」。すると信長は、「それはいかん。だれも信じるな。信じられるのはおのれ一人だ」と言い返す。

というのも回想シーンによると、12歳の信長は父の信秀(藤岡弘)から、「おぬしの周りはすべて敵ぞ。身内も家臣もだれも信じるな。信じられるのはおのれ一人、それがおぬしの道じゃ」と言われていた。

こうして成長したため、だれ一人、信じることがない、というのが「どうする家康」で描かれた信長像である。たしかに江戸時代には、儒教思想の影響もあって、信長は暴虐で独りよがりな人物と認識されていた。しかし、それを今日まで引きずっても仕方ない。いまではむしろ、信長は人を信じやすいがゆえに足元をすくわれた、と提起されている。