「言葉狩り」だけでは本末転倒

「嫁は“女が家に入る”と書き、男尊女卑の考えに基づいている」

40年ほど前に大学の講義で、女性学を研究テーマにしている男性の先生が、こう力説していました。

「『奥様』や『家内』や『ご主人』も使うべきではない!」

そうも言っていました。女性を奥や家の内に置いておこうというのはナンセンスだ、まして夫の使用人ではない、という話でした。

一瞬、なるほどと思いましたが、考えてみたら、使われている実際のニュアンスはかなり違います。理屈で「ダメな言葉」のレッテルを貼るのはどうなのかと、ちょっと反発を覚えました。ただ、多少は影響されたのか、個人的には「嫁」も「家内」も使ったことはありません。

「嫁」を批判する文脈で、最近になって盛んに言われ始めたのが「本来は息子の妻の意味」という主張。しかし「嫁(ヨメ)」は、とくに関西では、カジュアルに親しみを込めて自分や友人の妻を指す言葉として、一般的に使われています。

ここ10年ぐらいでしょうか、関西のお笑い芸人などの影響で、全国的にも妻を嫁と呼ぶ“文化”が広まりました。家制度云々への意識が薄れたからこそ、適度にくだけた響きにひかれて使う人が増えたように感じます。そんな背景が、昨今の「嫁呼びイビリ」の盛り上がりにつながっているのかもしれません。

室内で腕を組み、笑顔で写真に納まるカップル
写真=iStock.com/Yuki KONDO
※写真はイメージです

「本来は」と言い出したら、「女房」は宮中の言葉だし、「旦那」だって檀家やスポンサー、雇い主のことです。現在の使い方は、立派な誤用になってしまうでしょう。

「嫁は息子の妻の意味だから、自分の妻に使うべきではない」という論理は、絵に描いたような結論ありきのこじつけ。「2回のノックはトイレだから、部屋に入るときには3回以上ノックすべし」という「なんじゃそりゃビジネスマナー」と五十歩百歩のくだらなさです。

「自分の妻を嫁と呼ぶ夫」と「嫁という呼び方にケチをつける他人」のどっちが失礼かと言えば、後者の圧勝です。もちろん、男女ともに幸せになるためのジェンダー平等は、ぜひ実現したいところ。しかし、残念で根深い差別意識は、呼び方をどうこうした程度で揺らぐほどヤワではありません。

些細な点を問題視しても、「大きなお世話だ」と反発されたり、言葉を狩ればいいと思っている浅はかな印象を与えたりして、むしろ本来の目的の足を引っ張ってしまうでしょう。しかも、「妻を嫁と呼ぶ男性&呼ばせている妻」の人間性を偏見に基づいて否定し、差別しようという失礼千万な意図がチラつきます。世の中から偏見や差別をなくすための問題視のはずなのに……。

配偶者のことを第三者に語る際にどう呼ぼうが、他人が立ち入る話ではないはずです。「嫁」「妻」「女房」「ワイフ」「山のカミ」「ハニー」、そして「主人」「夫」「旦那」「宅」「宿六」「ダーリン」……。それぞれのキャラクターや夫婦の関係性や言語感覚に合わせて、しっくりくるのを選べばいい話です。

もちろん、呼ばれる側が納得しているのが大前提。「嫁って呼ばれたくない」「主人は嫌だなあ」と言われたら、あっさり引っ込めて別の呼び方を考えましょう。「自分は○○と呼びたい!」と、我を通すほどのことでもありません。