京都人のコミュニケーションは独特だ。脳科学者の中野信子さんは「京都では直接的な言い回しをさけ、自分の気持ちを遠回しに伝える伝統がある。これはコミュニケーションで角を立てないための知恵なのだろう」という――。(第3回)

※本稿は、中野信子『エレガントな毒の吐き方 脳科学と京都人に学ぶ「言いにくいことを賢く伝える」技術』(日経BP)の一部を再編集したものです。

台所でお茶を飲む若い日本のカップル
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京都人の戦略的にあいまいなコミュニケーション

深淵しんえんをのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」とは、有名なドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェの言葉です(『善悪の彼岸』)が、あえてこの格調高いフレーズを、このようにもじって言い換えてみたいと思うのです。

「京都をのぞくとき、京都もまたこちらをのぞいているのだ」

京都では、本当に上手なイケズは、棺桶かんおけに入ったときに相手が言われたことを気づくくらいのレベルですよ、と言われたことがあります。この、気づくまでの長さをどれくらいに設定するかは、人によって違うのかもしれませんし、自分は京都の人間だけれどもそんな風には言わない、という人もおいでかもしれません。また、同じ人であっても、相手との関係性によってその匙加減さじかげんは変わってきて「どうしても気づいてほしい」と本当に思ったならば、表現はどんどん直接的になるとも聞きます。

こうした柔軟性と申しますか、たくみな“戦略的あいまいさ”とでもいうべき何物かを、縦横無尽に使いこなし、コミュニケーションを高解像度でこなすことのできるすごい人たち――それが、ずっと私が京都人に抱いているイメージでした。