バカは人を傷つける

不意にバカが現れると、誰でもイライラしてうっとうしく思うものです。それは朝でも夜でも同じですし、直前までの機嫌のよしあしとも無関係です。

より正確で少し重い表現をしてもよければ、そのバカのせいで傷つくのだと言えます。

たとえ自分に自信があり、「バカが現れても動じずにいたい」と思っていても、やはりバカのせいで傷つきます。そして、自分が傷つくという事実にまた苛立ちます。すると、傷はさらに大きくなり、悪化します。

ここでは、自分が傷ついていることを素直に認め、あえてその傷をよく見つめ、なぜ傷つくのか考えてみましょう。まず試しに、街にたくさんある、バカの事例を思い浮かべてみましょう。

たとえば、通行の妨げになっている車のドライバー、散歩中に、犬を蹴り飛ばす飼い主や、道にごみを捨てる人などです。

この場合、バカとは、他者への敬意に欠ける人、ほんの常識程度のルールさえ守らない人、つまり、人々が共に暮らすための大切な条件を破る人のことになります。

そういうことをされると、条件をちゃんと守っている人は傷つくのです。

バカと社会は表裏一体

ただ、速やかに事実を明かせば、バカによるこうした行動自体が、たいていは、本人たちだけではどうにもできない、もっと根深い社会問題の表れなのです。

たとえば、労働条件は厳しく雇用も不安定な一方で、テレビやインターネットを見れば、一般の人にはとても手が届かないような高額のレジャーや贅沢品の情報があふれています。職場で人間関係に悩んでも、管理職がうまく調整してくれるわけでもないでしょう。

したがって、状況をきちんと理解するには、「バカが一方的に、社会生活の条件を破って世の中を住みにくくしているのではなく、病んだ社会もまたバカを生みだしている」というように、バカと社会は表裏一体であることも考える必要があるでしょう。

大切なのは、「人間が絡む現象には、他のものにはない独特の奥深さがあるものの、とにかく実際問題として、バカはいる」ということを覚えておくことです。

バカについて大事なことを、まずひとつ言います。それは、バカとはモラルの低い人間だということです。

わたしたちはみんな、自分の道徳観をもっています。常日頃からそれに沿って行動し、努力を重ねながら、完璧ではなくても、なるべく正しいふるまいをこころがけているものです。そうやって、モラルの高い立派な人間になろうとしているのではないでしょうか。

それと同時に、わたしたちは、他者のふるまいを自分の道徳観に照らして不適切だと思えば、その人はモラルが低いとみなします。バカとは、そうやって周りの人から、モラルが低いと(一時的にでも)思われている人のことだと言えます。