“原発不明がん”37歳で2児の母Mさんのケース

もう一人、37歳のMさんのことが思い出されます。彼女は原発不明がんでした。がんは、肺がんとか大腸がんというように、がんが最初に発見された臓器の名前が頭につくのですが、原発不明がんの場合はもともとの発生場所がわからない。すでにどこかに転移した状態で見つかるため、治療も非常に困難です。彼女の場合は、見つかったときからすでに進行がんで、治療も抗がん剤しか手立てがありませんでした。

まだ30代と若く、ご主人と二人のお子さんがいるMさんは、完治して家族と一緒に暮らす希望を捨てずに抗がん剤治療を2年間頑張りました。しかし残念ながらがんの進行を食い止めることはできず、ホスピスに入院してきました。その時点で肺転移による呼吸困難の症状が少し出ており、余命2〜3カ月と考えられていました。入院してからは症状緩和もうまくいき、ほとんど苦痛なく過ごせていました。

しかし、2カ月が経過したころから、徐々に呼吸困難の症状が悪化、衰弱が進行し、ベッドに寝ている時間が長くなっていきました。

残された時間を伝えるかどうか悩んだが…

あるとき、彼女は真剣な表情で私に話し始めました。

「私はここで死ぬ覚悟はできています。残された時間で、子どもたちに何かを残したいんです。先生、私、あとどのくらい生きられますか?」

彼女のお子さんは、当時、上が中学生の女の子、下が小学生の男の子でした。

私ははじめ、彼女に残された時間を伝えるかどうか悩みました。この当時の日本では余命告知に対して積極的ではなかったのです。私自身も、患者さんを死と直面させることに躊躇があり、ホスピスの患者さんに余命を告げることは行っていませんでした。

しかしながら彼女の必死な表情に隠しきれず、思わず「2〜3週間くらいだと思います」と、正直に告げてしまいました。すると、Mさんはほっとした表情でこう言いました。「わかりました。私もそれくらいだと思っていました。でも先生が言ってくれて納得できました」