客の叱責で夜も眠れず

なぜそこまで思い詰めたのか。それは、美奈絵さんが両親に大切に育てられたことが大きい。彼女の幼少期は、いわゆる「叱らない子育て」が大ブームだった。叱らない子育ては、子供が嫌がることはさせず、のびのびと育てることでもある。

親が子供にかまうことが愛情表現とされ、てきぱきと物事をこなす両親は、美奈絵さんに手伝いをさせなかったという。

加えて、苦しい思いもさせなかった。

「私が通っていたピアノ教室で、先生が私のことをものすごく怒ったんです。そのことを親に伝えた翌月から、違う教室に通うことになっていました」

美奈絵さんの両親は娘の危険を察知すると、本人が対処する前に、それを除いていたのだ。

「結局、私は個人営業の定食屋さんでバイトをしました。50代のとても優しいご夫妻がやっていたのですが、1カ月目に『もう少し気を利かせて』と言われたのです」

お客さんのお冷がなくなっていたら、「お水ください」と言われる前に注ぎ足す。箸を落としたら言われる前に差し出す。子供連れが来店したら、広めの席に案内するなど、一手先を読んで行動する。これが美奈絵さんにはできなかった。

「あるとき失敗をして、お客さんに怒鳴られた。そのショックから眠れなくなりました。翌日、大切な試験があって、早く寝なくちゃいけないのに『なんであんなことをしたんだろう……』という思いが頭をぐるぐる回ってしまい、深夜3時になっても目が冴えている。眠れないまま試験を受けて、落ち込んで帰る最中、ドラッグストアで市販の睡眠導入剤を購入しました」

眠れない苦しさから解放されたい一心だった。

市販の睡眠導入剤が効かない…

「アルバイトを始めて眠れない日は増えた。客から怒鳴られる、定食屋さんのオーナー夫妻からも小言を言われる。限界だと思って辞めました」

叱られたというけれど、その頻度は、バイトを始めて2カ月のうちに3回程度。日常的に他人から叱られている人にとっては、たいしたことではない。しかし美奈絵さんは親にも叱られたことがない。何をやっても褒められて育てられた箱入り娘だ。

その辞職のしかたも、現代風だ。何も言わずに出勤せず、そのままフェードアウト。「アルバイトを辞めます」と断るのはエネルギーとコミュニケーション力、胆力が必要だ。そのいずれも、当時の美奈絵さんにはなかった。

「接客は向いていないと思ったので、次のバイトは倉庫の在庫チェック係でした。そこでもミスをして、叱られた。出勤するのも苦しいし、失敗したときは給料をもらうのも苦しい。眠れなくなって睡眠導入剤を飲むとスッと眠れたんです」

誰かに話すという選択肢はなかった。

「親に話を聞いてもらおうと思ったんですが、そんなことを言ったら学校を辞めさせられてしまう。友達にバイト先で叱られることを話したら、『怒られるのなんて当たり前じゃん』と言われる」

そのうちに市販薬では効かなくなり、眠っても疲れがとれていることを感じなくなる。

「大学を卒業し、就職する頃には、通院して3種類ほど服用していました。すぐに処方してくれる心療内科をネットで探してまとめて処方してもらっていました」