子供の不登校、ゲーム依存症、非行といった問題が深刻化しているのは、なぜか。『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)を書いたノンフィクション作家の石井光太さんは「子供たちを取材していると、国語力の乏しさを痛感する。近年、増えている『スマホ育児』は、こうした問題を悪化させる恐れがある」という――。
息子と一緒に携帯電話を使用する両親
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計算はできるのに、文章題が解けない子供たち

日本の子供にとって「国語力」は、学校の勉強や受験勉強だけでなく、将来的に社会を生き抜くために必要不可欠な力だ。

国語力とは語彙ごいをベースにして、情緒力、想像力、論理的思考力、表現力を育てることで培われる総合的な能力である。文部科学省のいうところの全人的な力といえるだろう。

学習の面で考えてみると、小学校低学年の頃は算数が得意だった子が、小学4、5年生になって急に成績が落ちることがある。

親は算数の勉強が難しくなったためだと勘違いするが、実は計算はできるのに、文章題の意味を正確に理解できていないせいであることが多い。小学校高学年に差し掛かると、文章題が抽象的になるので、国語力のない子供は理解が追い付かなくなるのだ。

同じことは社会でも理科でも当てはまる。国語力がなければ、抽象的な設問に答えることができない。こうした困難は「9歳の壁」と呼ばれている。

英語でも同じだ。幼少期から英会話を習い、スピーキングも、リスニングもできるのに、高校2年生くらいになって成績が伸び悩む子が少なくない。

中学生くらいまでの英文は、日本語でいえば小学校低学年~中学年レベルの内容なので誰でも理解できる。しかし、大学受験のそれは中学生レベルになる。そうなると、国語力がないと、英語の知識がいくらあっても文意を読み取れないということが起こるのだ。

不登校、ゲーム依存症、非行に走る子の共通点

こうした現象は、何も学校の学習においてのみ起きているわけではない。私は『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)で、国語力の弱い子供たちが社会で様々な困難に直面している現状を描いた。

たとえば、24万人にも膨れ上がった不登校児。彼らの多くが、学校へ行けない理由を言語で考えられず、「わからない」と答えている実態がある。あるいは、本書で紹介したゲーム依存症治療を行う病院の調査では、ゲーム依存症の子のIQの言語理解が他の能力と比べて明らかに低くなっていたり、少年院に入っている子供たちの多くが非行の意味を考えられずにいたりする。