日本の地方自治はこのままでいいのだろうか。評論家の八幡和郎さんは「東京一極集中にはさまざまな弊害がある。一方、現在の地方振興策は、経済合理性を失った限界集落・自治体の一時的延命に浪費されている。いまこそ思い切って、道州制と300基礎自治体に再編すべきだ」という――。

地方公務員は安定しすぎて空気がよどんでいる

日本の地方自治制度は、明治4年(1871年)の廃藩置県と明治22年(1889年)の市町村制度の設置により、封建時代の枠組みをまったく新しく作り直して成立したものだ。しかし、いまや老朽化してしまっており、建築で言えば、修繕でなく新築すべき状態になっている。

明治4年12月の地方行政区画〈吉田東伍 他『大日本読史地図』(冨山房)より〉(図版=PD-Japan/Wikimedia Commons)
明治4年12月の地方行政区画〈吉田東伍 他『大日本読史地図』(冨山房)より〉(図版=PD-Japan/Wikimedia Commons

人事交流や中途採用も少なく安定しすぎて空気がよどんだ地方公務員の意識活性化のためにも、いちど、今の組織がなくなった方が好都合だろう。

平成の前半には、首都機能移転についての議員立法が成立したし、自民党が都道府県を合併する道州制を、民主党系は市町村を撤廃する300基礎自治体論を提言していた。

ところが、東京一極集中はますます進行しているのに、抜本的な改革は腰砕けになったままだ。かろうじて、約3000あった市町村が「平成の大合併」で約2000に減っただけだ。「大阪都」とか「大阪副都」は、首都移転や道州制が進まないので、応急手当として提唱されたはずだが、それすら住民投票で頓挫して実現できなかった。

「廃県置州・廃市町村置藩」という提案

東京一極集中排除が進まない理由は、拙著『日本の政治「解体新書」 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)で時間的経緯を軸に詳しく分析したのだが、今回はそのうち、「道州制」と「300基礎自治体(仮に藩と呼んでおこう)」について論じる。いわば、「廃県置州・廃市町村置藩」だ。

私は、道州制か300基礎自体市町村かのどちらかではなく、国の権限を移管する道州と、都道府県と市町村を再編した基礎自治体と両方同時に実現すべきだと提案してきた。それはなぜかを説明する前に、まずは、現行制度に至る歴史を簡単に振り返ろう。

1871年7月の廃藩置県で江戸幕府以来の「藩」が廃止されて3府302県となり、大名に代わって中央から送り込まれた知事(県令・権令)が任命された。11月には第1次府県統合が行われて3府72県となり、微修正を経て、1888年に47道府県となった。その後は、微修正のみである。