明治時代の紅茶は紳士淑女の嗜好品

明治20年(1887年)、紅茶100kgが輸入され、「舶来品のハイカラ飲料」として、鹿鳴館や長楽館などを中心に紳士・淑女の間で少しずつ広がりを見せます。

明治39年(1906年)、明治屋がリプトン紅茶・イエローラベルの輸入をスタート。明治屋の創業者である磯野計氏は英国留学の経験を活かし、明治18年横浜に「明治屋」を設立。食文化のパイオニアとして、日本に海外の珍しい商品を紹介しました。

昭和2年(1927年)、民間企業としていち早く紅茶マーケットに目をつけた三井財閥が、日本初のブランド紅茶「三井紅茶」(のちに日東紅茶と改称)を発売します。

ただし、当時の紅茶は高嶺の花。有産階級やエリート層が嗜む高級品という位置づけでした。

イギリス兵にとって紅茶は戦地でも必需品だった

第2次世界大戦では、日本とイギリスは敵対関係となりました。お茶好きな両国、戦時中にはどのようにお茶が扱われていたのでしょうか。

20世紀に入り、イギリス人にとってティータイムは日常に欠かせないものとなっていました。政府も同じ認識だったため、紅茶に制限をかけることには躊躇していたのですが、1940年から紅茶は配給制となり、配給手帳によって厳しく管理されました。年齢や職業によっても振り分けられる量が異なり、その制度は終戦後も1952年まで続けられました。

しかし、最前線で戦う戦士たちにとって、紅茶は命綱ともいえる存在でした。チャーチル首相は「兵士にとって重要なのは弾薬よりも紅茶」と言い、熾烈しれつな戦火が広がる中でも、紅茶とビスケットが戦地に届けられました。

1942年にイギリス政府が購入したリストを見ると、重量順に弾丸、紅茶、砲弾、爆弾、爆薬であったという記録も残されています。

前線では、紅茶を飲むために戦車を離れた兵士が標的にされることが続いたため、安心して紅茶が飲めるようにと、戦車にもBoiling Vesselつまり「戦車専用の給湯器」が装備され、装甲戦闘車の必須装備となりました。現在でも、イギリス陸軍が使用する戦闘車のほぼすべてに最新の給湯器が装備されているそうです。

透明なガラス鍋で沸騰する水
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紅茶をいれる重要任務は「BV(Boiling Vessel)司令官」と呼ばれ、受け継がれているという裏話の真偽はともかく、戦争という非常事態においても、紅茶は今も昔も変わらず重要な飲みものであることには間違いありません。

フランス軍の兵士にワインが欠かせなかったように、イギリス軍にとっては紅茶がエネルギーを補給し、士気を高めるための秘密兵器というわけです。