初めて紅茶と出会った日本人にちなみ、11月1日は「紅茶の日」とされている。その紅茶をなによりも愛しているのがイギリス人だ。ティースペシャリストの藤枝理子さんは「第2次世界大戦の時、チャーチル首相が『兵士にとって重要なのは弾薬よりも紅茶』と発言するほど、紅茶を飲むことはイギリス人にとって深い意味がある」という――。

※本稿は、藤枝理子『仕事と人生に効く教養としての紅茶』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

花が飾られたテーブルの上のティーカップに注がれる紅茶
写真=iStock.com/Galina2012
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初めて紅茶を飲んだ日本人

初めて日本に紅茶が入ってきたのは明治時代です。じつは、その100年以上も前にロシア女帝エカテリーナ2世のお茶会に招かれた日本人がいました。

時は江戸時代、彼の名は大黒屋光太夫。なぜ、鎖国時代に日本人の男性が、しかも遠いロシアの地で“宮廷の茶会”に招かれることになったのでしょうか?

1782年12月9日、伊勢で船頭をしていた大黒屋光太夫は、紀州藩御用米を積みこんだ帆船・神昌丸で白子港(現在の三重県鈴鹿市)から江戸へと向かいました。その道中、記録的な暴風雨に遭遇し帆が吹き飛ばされ、船が難破。伊豆大島付近で目撃されたのを最後に、行方をくらますことになります。

光太夫をはじめとした17名の船員は、8カ月もの漂流生活の後、日付変更線を越えて北太平洋ロシア領のアムチトカ島に漂着します。日本への帰国を懇願したものの叶わず、光太夫一行はロシア語を習得しながら、寒さや飢えと闘いながらシベリアを横断し、首都サンクトペテルブルクを目指します。

1791年11月にロシア宮廷の茶会で紅茶を飲んだのが由来

漂流から8年あまり、ようやくエカテリーナ2世への謁見えっけんが叶い、日本への帰国を直談判。幾度かの謁見の末、1791年11月、宮廷のお茶会に招かれ、エカテリーナ2世から帰国の許可を受けたのです。

10年にも及ぶサバイバル生活の末、日本への生還を果たしたのは光太夫と船員2名だけ、日本に来船した初めての黒船が、光太夫が乗ったロシアからの送還船でした。この船の中には、餞別せんべつ品として貴重な茶と砂糖も積まれていたとされています。

200年以上も前、過酷なロシアでの生活を強いられ、エカテリーナのお茶会に招かれるという波乱に満ちた人生を送った光太夫。初めて紅茶と出会った日本人にちなみ、11月1日は「紅茶の日」に定められています。