その後、両親にこの「惨状」を報告したのですが、片方から返ってきたのは以下のようなメッセージでした。

「あなたみたいに家族が嫌いな人は知りません」

ええ⁉ 家族が嫌いとか好きとかの話ではなく、そもそも自分のことをありのままに話すと嫌われるからはぐらかせ、という話なのではないか。なぜそこから家族が嫌いという話にまとめられてしまうのか、それはおかしいのではないか、などなど手をかえ品をかえ説明しようとするのですが、全く暖簾に腕押しでした。

もちろん、親としては、せっかく親族なり親なりが息子のために会を催してくれたというのに、その善意に対して文句を言うなんて、ということなのでしょう。

けれど、その結果起こったことは、双方にとってメリットのない、「思いやり」が空回りするような出来事です。親と私のそのやりとりは平行線をたどり、決裂しました。

思いやり「だけ」では解決しない

一連のやりとりを終えると、今度は、たまたま実家に居合わせた弟から、両親が私をめぐり喧嘩し始めたというメッセージが送られてきました。一連の出来事を説明すると、「兄貴も大変だなあ」というような返信が届きました。

その数時間後の翌朝未明、私に対して「あなたみたいに家族が嫌いな人は知りません」と送ってきたほうとは別の親から「ごめんな」というショートメールが送られてきました。

さて、この一連の出来事、私からすれば、まさに「思いやり」が空回りし、本書のテーマである、思いやり「だけ」では解決しない、むしろ不具合が起きるという事例の一つと考えます。

神谷悠一『差別は思いやりでは解決しない ジェンダーやLGBTQから考える』(集英社新書)
神谷悠一『差別は思いやりでは解決しない ジェンダーやLGBTQから考える』(集英社新書)

この後、たまたま友人から「親」をめぐるさまざまなエピソードが寄せられました。いわくカミングアウトをしたら「同性愛が治るのを待っています」という趣旨の手紙を親から受け取った、いわく「それでもいつか異性と結婚するんだろ」と言われた、などなど、親や親族をめぐるエピソードは跡を絶ちません。

それぞれの発言自体は、子どもや、身内を思ってのことなのかもしれません。親自身にも葛藤があることでしょう。

しかし、ぜひ知っていただきたいのは、その善意の「思いやり」が、決定的な関係の断裂につながってしまうこともあるということです。「思いやる」際にはせめて相手の背景にも思いを致してほしいと思います。

もちろん、こうした困難を抱えるのは、LGBTQに限りません。さまざまな形でジェンダー規範から「逸脱する」人たちが、さまざまな場面で、その困りごとの構造や背景を看過されて「事件」に遭遇しているのではないでしょうか。

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