善意の「思いやり」が相手を傷つけることがある。LGBT法連合会事務局長の神谷悠一さんは「『せっかく近くに来たんだから』と親族から食事会に誘われたことがある。親族は善意だったのだが、90歳の祖父に私のセクシュアリティを隠さなければならず、話題をやり過ごすのは大変だった。思いやりは決して万能ではない」という――。

※本稿は、神谷悠一『差別は思いやりでは解決しない ジェンダーやLGBTQから考える』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

ベランダで考え事をする若いビジネスマン
写真=iStock.com/monzenmachi
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「善意の思いやり」が苦しみを生み出すワケ

コロナ禍で一時中断されていたものの、まだまだ日本社会において飲み会文化は根強いように感じます。筆者が2021年の暮れに友人たちと訪れた飲食店は、お酒を楽しむ客で溢れかえっており、一時期の静けさとはうって変わった様相を目にしました。

ところで、飲み会に誘われることに関するトラブルが、最近よく聞かれるようになってきました。業務時間ではないけれど、実際は業務時間のように半強制的に参加させられる飲み会はいまだに多くあります。

そういった飲み会に「善意の思いやり」で誘われることもよくあります。「この人とつながれるから来たらいいよ」とか、「親睦を深めよう」といったことで誘われる飲み会に心当たりはありませんか。こうした飲み会に関連して、2021年には、「飲み会を断らない」と豪語する官僚への賛否も飛び交いました。

職場の関係では、飲み会ではなく他のことに誘われてしまうこともあります。「男性」が、「男性」仲間や上司から性風俗や性的なやりとりが起こり得るお店に誘われること、これが断りづらくて困っているという新聞記事が2020年に出ていました。この事例は「同性間セクハラ」の事例とも言えるもので、こうした「思いやり」からくる同性間のセクハラ被害はまだまだありそうです。

このようなさまざまな「思いやり」がもたらす事例を目にする中で、筆者自身も一つの「事件」を体験することとなりました。それは「親族の食事会」の出来事です。

「親族の食事会」で味わった苦悩

「親族」とは、多くの性的マイノリティにとっての「鬼門」です。科研費の調査グループが実施した2019年の無作為抽出の調査によれば、自分のきょうだいや子どもが性的マイノリティ当事者だった場合、自分の近所の人や同僚だった場合よりも嫌悪感がはね上がるという結果が出ています。

「親族」についての、直接の調査結果は出ていませんが、「きょうだい」や「子ども」の延長線上にあると考えられ、嫌悪感が高いと推測されます。実際、当事者の中では長らく、親族との会にどのように赴くべきかについて話題となることが多く、親族はある種の鬼門とされてきました。