橋下 僕は単にストレス発散といいますか、頭に来たことをツイッターで発散しているだけです。今は時間の都合で返信しませんから、フォロワーから「何で橋下さんはちゃんと返信して答えないの? 自分の一方的な発信ばかりでコミュニケーションになっていない」とよく言われるのですが、あれは僕の独り言です。嫌だったらフォローを外してくれ、と。

大前研一●ビジネス・ブレークスルー大学学長。1943年福岡県生まれ。早稲田大学理工学部卒業。東京工業大学大学院修士課程修了。MIT工科大学大学院博士課程修了。工学博士。最新著『訣別 大前研一の新・国家戦略論』(朝日新聞出版)は「大阪都構想」の理論書でもある。

大前 それでいいんです。私が東京都知事選に出たときは、わずか1カ月で七変化しましたからね。やれ大前研一は統一教会だ、半島の出身だ、北の出身だ、ユダヤの使いだ、フリーメーソンだと、本まで出版されてね。でも、当時はツイッターのような道具がなかったから……。

橋下 反論できなかった。

大前 そう、何もできなかった。そのときはしょうがないから自民党本部に押しかけて、ウチの親父の軍人恩給の受領証を見せて、「陸軍暁部隊(旧陸軍で海上輸送や揚陸を主任務としていた船舶兵部隊)の大尉だぞ」と。当時は自民党が後ろから糸を引いていろいろやっていました。テレビに出ても「大前さんは統一教会との関係が取り沙汰されてます……」ということから入る。当時はやられ放題です。だから今回の選挙戦を見ていて、ツイッターはすごいデバイスだなと思いました。

橋下 確かに僕は公人ですし、報道の自由というものは最大限尊重しなければいけないと思っています。だから何を書いてもらってもかまわない。しかし、家族や子供のことにまで踏み込むのはどうなのかと問題提起し続けました。それでもバカ週刊誌はまったく聞く耳持たずで、いろいろなことが報道されました。

ただ、そうしたなかで現代社会における反論の道具というものが、僕ら政治家にも与えられた。反論の道具が与えられた以上、メディアは一層厳しく公人に迫っていけばいいと思うんです。

※すべて雑誌掲載当時

(小川 剛=構成 市来朋久=撮影)