古今東西の寓話を読むと、教訓や真理を教えられる。キャリアカウンセラーの戸田智弘さんは「寓話には読者が自分の仕事や人生の進むべき道について考える手がかりも詰まっている」という――。

※本稿は、戸田智弘『ものの見方が変わる 座右の寓話』(ディスカヴァー携書)の一部を再編集したものです。

ガラスのコップに日光があたり、影と反射がテーブルに
写真=iStock.com/Nataliia Yankovets
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3人のセールスマンの中で最高の仕事をするのは誰か

寓話<靴のセールスマン>

香港で靴の製造会社を経営する人物がいた。

ある日、彼は、南太平洋の孤島に靴の市場が存在するかどうかを知りたくて、一人のセールスマンを派遣した。その男は、現地の様子を見てすぐに電報を打った。

「島の人間は靴を履いていません。よってここには市場は存在しません」

納得のいかない経営者は、別のセールスマンを派遣した。その男からの電報は次のような内容だった。

「島の人間は靴を履いていません。よってものすごい市場が存在します」

これにも納得のいかなかった経営者は、さらに別のセールスマンを派遣した。この男は、前に派遣された二人のセールスマンと違って、マーケティングの専門家でもあった。彼は、部族長や現地人にインタビューしたうえで、こう打電してきた。

「島の人間は靴を履いていません。そのため、彼らの足は傷つき、あざもできています。私は部族長に、靴を履くようになれば島民は足の悩みから解放されると説明しました。部族長は非常に乗り気です。彼の見積もりでは、一足10ドルなら島民の70%が購入するとのことです。おそらく初年度だけで5000足は売れるでしょう。島までの輸送経路と島内の流通経路を確立するのに要するコストを差し引いても、大きな利益が生まれる可能性のある事業だと思われます。早急に話を進めましょう」

需要は探すのではなく、つくり出すもの

一つの物事に対するとらえ方は人それぞれである。一人目のセールスマンは「島の人間は靴を履いていない」という事実から「市場は存在しない」と判断した。二人目のセールスマンは「島の人間は靴を履いていない」という事実から、「ものすごい市場が存在する」と判断した。同じ事実を見たのに、異なった判断が生まれてくるのは興味深い。

二人の違いは、物事をネガティブにとらえるか、ポジティブにとらえるかの違いだと考えてもいい。半分だけ水の入ったコップを見て、「半分しか水が入っていない」ととらえるか、「半分も水が入っている」ととらえるかと同じである。

さて、二人目のセールスマンと三人目のセールスマンはともに「ものすごい市場があるかもしれない」という可能性を感じた点では同じである。しかし、二人目のセールスマンはそこで終わった。それに対して、三人目のセールスマンはその可能性を確かめようとした点で優れている。

三人目のセールスマンの仕事ぶりで連想されるのは、顕在需要と潜在需要という二つの需要である。顕在需要とは、はっきりと現れて存在している需要であり、商品の購入に直接結びつく需要である。潜在需要とは、商品の価格が高すぎたり、情報が不足していたりするため、現実にはまだ顕在化していない需要である。

三人目のセールスマンは、顕在需要はまだないものの潜在需要はあるのではないかという可能性を感じ、その可能性を調査によって明らかにし、潜在需要を顕在需要へと変化させていく道筋をつくったのだ。

新しい販路を開拓しようとするとき、まず大事なのはその地域や現場に需要があるかどうかを確認することだ。顕在需要がなくても、潜在需要があればいい。顕在需要があれば、すぐに商売をすることはできる。しかし、多くの場合は既にそこで商売をしている人がいるので、付加価値は小さい。一方、潜在需要を掘り起こすことは手間とお金がかかるが、上手くいけば付加価値の大きいビジネスになっていく。