ロシアのワクチン接種事情のウラにロシア正教会

一方、米国と並ぶワクチン大国でありながら、同様に接種率が伸び悩んでいる国がある。ロシアである。そのロシアで最大の宗教はキリスト教の一派ロシア正教会であるが、米国の福音派のワクチン接種拒否の姿勢とは真逆の対応をみせている。

大統領府のあるクレムリンと、ロシア正教会の聖ワシリー大聖堂。両者の距離は縮まりつつある
撮影=鵜飼秀徳
大統領府のあるクレムリンと、ロシア正教会の聖ワシリー大聖堂。両者の距離は縮まりつつある

ロシア正教会を信仰する割合はロシア国民1億4500万人のうちのおよそ4割。さほどは多くはないように思えるが、国内最大の宗教なのだ。ロシアでは特定の宗教に属さない無宗教者が多いといわれ、また、イスラム教や仏教、カトリック、プロテスタントなど幅広く信仰されている。

先日、ロシアの大手通信社から私のもとに一通のメールが寄せられた。「新型コロナのワクチン接種を拒否する人は、仏教の観点からは罪になりますか」

最初、私は質問の意図を理解できなかったが、どうやらこういうことらしい。ロシアではコロナ感染症が再拡大しつつある。ロシアでは目下、第3波の渦中にある。トータルの感染者数は700万人を超え、死者も20万人に迫る勢いだ。

一方でロシアは独自のコロナワクチンを2020年8月に世界に先駆けて開発、承認し、早々に接種を始めた。現在、人工衛星の名前にちなんだ「スプートニクV」というワクチンのほか複数のワクチンの接種が実施されている。

英国医学誌ランセットによれば、スプートニクVの感染予防率は91.6%と米国ファイザー製(95%)、あるいはモデルナ製(94.1%)とも引けを取らない。当初は疑われた安全性だが、ワクチン接種開始から1年が経過して、大きな問題が生じているとの声は上がってきていないようである。

ロシアで拡散「ワクチンの中にチップが埋め込まれ人を管理」

それなのに、ロシアのワクチン接種は伸び悩んでいるのはなぜか。オックスフォード大学のOur World in Dataによると完全にワクチン接種を終えた割合はおよそ27%(9月8日時点)だ。

その背景には、政治不信とネット社会がある。ロシアでは、「ワクチンの中にチップが埋め込まれていて人々を管理しようとしている」などの陰謀論がネット上で拡散され、多くの国民がそれを信じてしまっているのだ。その陰謀論を払拭できるのは政治への信頼性だが、それもロシアでは薄い。

そこで、舞台に登場してきたのがロシア正教会だ。ロシア正教会の最高位聖職者である総主教は先日、テレビ番組に出演し、「ワクチン拒否は他の人々の死をもたらす。ワクチン接種を拒否すれば生涯償う必要のある罪人になる」として、接種を強く呼びかけた。

また、ロシア正教会の広報担当も「これまで教会に多くの信者が訪れ、懺悔した。我々は、彼らが自分や大切な人へのワクチン接種を拒み、意に反して他人を死に追いやってしまったと後悔する現場を毎日のように見ている。罪とは他人よりも自分の都合を優先させることだ」と強気の発言をしている。

ロシア正教会は「ワクチン拒否は誤った認識」であることを人々に理解させようと試みたが、脅しめいた発言にはネット上で賛否が渦巻いた。

ロシア正教会が政治におもねる態度は、かねてから指摘されてはいた。ロシアでは基本的には政教分離政策をとっている。ロシア正教会側が政治に忖度したのか、政府からワクチン接種を呼びかけるよう圧力がかかったのかは不明である。