あの震災から3カ月。

青い空の下、釜石の街に何本もの大漁旗がはためいた。「釜石ラグビッグドリーム」と称したフェスティバル。地元のラグビーチーム、釜石シーウェイブス(SW)がヤマハ発動機ジュビロと復興記念試合を行い、約1700人が熱狂した。

夏祭りのごとく、松倉地区のラグビー場の周りには白テントの出店がならぶ。何でも無料だ。毛布、衣類の路上バザーも開かれ、避難所からもおじいちゃん、おばあちゃんがやってきた。子どもたちの笑顔もあふれる。牛丼のあまいかおり、オージービーフの焦げるにおいが風にのる。

6月5日、震災後初めて地元釜石で行われた復興記念試合。
写真を拡大
6月5日、震災後初めて地元釜石で行われた復興記念試合。

釜石は新日本製鉄の城下町である。魚と鉄とラグビーの街である。「カ~マイシ。カ~マイシ」の掛け声が飛ぶ。震災後、初の地元戦。釜石SWの前身、V7の新日鉄釜石のエースだった松尾雄治も東京から応援に駆けつけた。

「やっと、ここまできたね。まだ諸手をあげてとはいかないけれど、少しずつ、いい感じになりつつある。製鉄所とラグビーのがんばりが街の復興につながっていけばいいんだ」

約4万人の市民のうち、約850人が死亡し、約470人が行方不明の岩手県釜石市。まだ釜石湾岸には瓦礫の山がいくつも並び、砂ぼこりをあげている。大防波堤には巨大タンカーが突き刺さったままである。

でも、どっこい街は生きている。鉄鋼マンの粘り強さと使命感、ラガーマンの献身さと負けじ魂があったからである。街角にこんな張り紙があった。白地に黒字と赤字。〈あきらめず 一歩ずつ前へ がんばろう釜石〉。