これが、現在はどうなっているのか。複数の関係者の話を統合すると、P&Gファー・イーストの前期の売上高は3700億円程度。うち、韓国を除く日本市場での売上高は約2800億円の規模。「日本での売り上げは04年で2300億円前後。05年までは2ケタ成長だったが、06年からは1ケタ成長に。また、12年前の年商2000億円にも韓国分が入っていた」と言う人もいる。あやふやで恐縮だが、帰国子女のベールの内側の推計値である。

<strong>貞野 徹●P&Gジャパン ディビジョン1営業本部長</strong><br>
1957年生まれ。関西学院大学卒。79年P&Gサンホーム販売本部入社。大阪支店長、CBDカスタマーチームリーダーなどを経て現職。

貞野 徹●P&Gジャパン ディビジョン1営業本部長 1957年生まれ。関西学院大学卒。79年P&Gサンホーム販売本部入社。大阪支店長、CBDカスタマーチームリーダーなどを経て現職。

さて、P&Gジャパンの流通改革は、当時は社内外でどんな葛藤があったのか。

P&Gジャパンの貞野徹ディビジョン1営業本部長はECR導入の頃を振り返る(ディビジョン1は主に小売業を担当)。

「96年に始めた頃、P&Gが何をやり出すのかと、業界の反発はありました。当社は規模は小さく、影響力もなかったですから。しかし、それ以前の商談は『どれくらい安くしてくれるか』『販促金は』といったお金に関する交渉ばかり。結果論ですが、改革をやってよかった」

ECR導入プロジェクトは94年から始まり、このときプロジェクトリーダー(メンバー数は5~6人)を務めたのが、85年に新卒で入社していた営業職の桐山だった。プロジェクトで半年間煮詰め、重要なプレゼンの日に阪神・淡路大震災が発生。プレゼンが延期されるなど予期せぬ事態も起きた。

「営業現場では現状を変えなければいけない、と多かれ少なかれみんな思っていた。でも、『できないよな』というのが本音だったでしょう。しかし、中長期的には、できないでは済まされない状況でした。想定される短期的なリスクのレンジを示し、プロジェクトを通したのです」

最終的には、日本に赴任して日が浅い当時のロバート・マクドナルド社長に、メンバーは「こういうリスクがあります。しかし、いまがチャンスなのでやりたい」と訴えた。マクドナルド社長は、「就任早々ビジネス(売り上げ)を下げろと言うのか!」と言いつつも了承する。

その直後、桐山はアソシエートディレクターとしてカナダに赴任。ところが、導入の反動は大きく、1年で再び日本に呼び戻されることになった。