私が恐れるのは、ここに示したデータが、成長やチャレンジなどの要素が与えられる可能性があまりにも低くなって、もはやそうした要素を求めることさえ諦めてしまい、2.0レベルの賃金や上司との良好な関係などにモチベーションを求めるようになっている可能性である。心理学者がしばしば指摘するように、こうした要素は、成長の期待や達成感などに比べて、深くて、長続きする意欲の源泉にはならない可能性が高いモチベータである。

そして、さらに、上記のデータは、賃金や上司との関係なども十分与えられていない様子も示している。そのこと自体も危険信号である。明らかに、自分を見ていてくれる上司の存在や、明確な役割設定など、職場で仕事をするための基本的なインフラが提供されていない可能性があるからである。上述したように、成長や達成などの3.0レベルのモチベーションの基盤には、そうした意味での、満足できる給与や仕事環境などのインフラがないと、そもそも話が始まらない。モチベーションに階層があるとしたら、こうした基盤的なモチベータが満たされないと、より高いレベルのモチベーションを望む欲求は湧いてこないのである。

そして、そうした場合、多くの人は、お金にモチベーションを見出す。より高いレベルのモチベータが望めないとき、多くが結局はお金だと諦めることになる。その意味で、多くの人にとって、お金は、最もとっつきやすいモチベータである。でも、あなたは、お金をモチベーションにしている人材が多い企業をどれだけ信用するであろうか。

そろそろ、「人材退化説」に対して、「環境退化説」へと思考のパターンを移すときではないか。私が最も恐れるのは、今回お見せしたようなデータの背後に、仕事環境の退化が起こっており、その結果として、3.0レベルのモチベータなどはとても望めないと考える人がモチベーション2.0へと回帰している可能性である。

企業として、いつも3.0レベルのモチベーションを充足することは不可能である。ただ、働く人が、3.0レベルのモチベーションを求める会社にすることは可能だ。働く人が希望を持てる会社。それが今求められる。

(平良 徹=図版作成)